その2より続き4. ビエンナーレ・ホールの外へ:テーマの例証の先にあるビエンナーレの結論としての作品・ビエンナーレ・ホールに近い国立光州博物館(46) この会場(47)は、ビエンナーレ・ホールに近いせいか、未だ水のテーマの例証の延長と思われる作品群(48~54)だった。つまり、アンビギャスな表現のカオティックな作品によ...Read More
その1より続き3. ビエンナーレ・ホール【2】:この道は祖先を迂回して抵抗へと続く 今ビエンナーレは、次のスペースGallery 3で、祖先(Ancestor)という過去の声(19)に傾聴することで迂回の戦略を採る。そこから、未来の生の知恵(20~24)を汲み上げるのである。それが、その先のGallery4(25~29...Read More
1. 2023年、再び光州へ 2018年、第12回のビエンナーレ以来、5年ぶりの光州(1)である。非常に懐かしく感じる街(2)は、少なくとも外見上変わった様子はなかった。 5年のブランクではあるが、3年間は新型コロナ禍によるロス、1年延期されて国内勢が多く短期間の前回のビエンナーレから2年の間を置いたという意味で、変則...Read More
Day 4(11/28)のつづき すでにDay 3のアルバース夫妻の展覧会で立ち入った話をしているけれど、現代から歴史を遡ってモダンアートのエピソードに着目することにしよう。場所は、パリの中心にあるオランジュリー美術館。言わずと知れたモネの晩年の名作『睡蓮』で世界的に知られる美術館である。 オランジュリー美術館のオーバ...Read More
Day 3(11/27) パリ滞在3日目は、パリ市立近代美術館(1、2 ※写真番号、以下同)へ。 ポンピドゥーセンターが1970年代に開館してからその影に隠れてしまったが、ポンピドゥーより古くからある美術館(パリで近代といえば、ここだけだった)で、若かりし頃近くの狭い屋根裏部屋に住んでいた私は、やはりすぐそばのシネマテ...Read More
Day 1(11/25) パリ到着初日は、午後から前回(ほぼ1か月前の10月後半、パリにやはり1週間ほど滞在した)見落としたアートセンターとギャラリーへ。 パリ大学ディドロ校のなかにあるbetonsalonで(1)行われていたグループ展(2~20)は、なんとも奇妙な光景だった。作品と作品の釣り合いが取れていない。テーマ...Read More
リボーンの中心会場である石巻市は、二つの宣言を行っている。それは、私が初めて降り立ったJR石巻駅前の小さな広場にひっそりと佇む記念碑や塔によって知られる。 それらに刻まれた文章の一つは、非核平和都市宣言(1)、もう一つは、萬画宣言(2、3)である。その漫画文化を伝承する施設が、旧北上川の中州の中瀬公園に建つ石ノ森萬画...Read More
日和山から見下ろす景色に、3.11の残酷な出来事がオーバーラップして、今日の穏やかな日が信じられない気がした。しかし、あの日の痕跡は残っている(残されている)。そのとき当事者(大惨事を経験した者)と非当事者(経験していない者)の絶対的な差違は埋められないと実感した。加害者と被害者の溝が埋まらないのとまったく同じように...Read More
2017年、2019年と開催されたアートと音楽と食の祭典、ビエンナーレ形式のリボーンアート・フェスティバル(1、以下リボーンと略記)は、3回目の今年、新型コロナウィルスのパンデミックの影響で、2021年と2022年の二回に分けて行われることになった。以下の文章は、その2021年夏期のレビューである。 本展のキュレータ...Read More
【The Evangelist of Contemporary Art】東京ビエンナーレは、果たして東京ビエンナーレだったのか?(2)からの続きです。 今東京ビエンナーレの目玉のひとつにAR作品がある。ARとは、「Augmented Reality」の略で、それを訳せば「拡張現実」であり、文字通り現実が拡張されるデジタ...Read More
【The Evangelist of Contemporary Art】東京ビエンナーレは、果たして東京ビエンナーレだったのか?(1)からの続きです。 さて、これからエリアごとに、具体的に展示作品の幾つかを取り上げ、コメントを加えていきたい。 東京ビエンナーレ巡りは、まずビエンナーレの本拠地からということで、3331ア...Read More
新型コロナウィルス感染爆発は勿論のこと、今夏は酷暑や大雨の気象異変で、開催期間中、野外鑑賞に適した日は少なかった。また、新型コロナ禍が長期に渡り、ビエンナーレ自体も延期されたり、来日できなかったり作品を出展できなかった海外の参加アーティストが多かった。したがって今ビエンナーレは、目指された本来の姿から遠くかけ離れたも...Read More
なぜ、残像か? 儚く消え去る幻影ではない。脳裏に記憶の痕跡が刻まれるほど、逸楽の強烈なイメージ。それは連鎖する。強烈な残像は別のそれと共鳴し響きあい、人間の活動は、この残像の連鎖が織りなす環境の影響を蒙る。 その意味で世界の土台となるこの残像が、本文で取り上げるアーティストの作品からどのように練り上げられるのか。そし...Read More
※ブログ前編はこちら 展覧会から最近・最新の作品も観ておこう。大震災後の復旧と復興は、町や田舎の風景を一変させた。その変貌の様を、前述の小森+瀬尾は「二重のまち」と冠した。 加茂昂は、絵画(49~55)の厚塗りの絵の具の窪みにぽっかり開いた穴のような立看板(56)で、それを見事にネガティヴに浮かび上がらせた。佐竹真紀子...Read More
久しぶりに水戸芸術館(1~3)を訪れた。 久しぶりというのは、ここ2、3年当館で行われる企画展に魅力的なタイトルやテーマ、そして興味深い作品がないと思われたからである。東京から2時間の近さとはいえ、それなりの交通費を払って観たいと欲する展覧会でないと、なかなか触手は動かない。実際に鑑賞していないのでそう断言する資格は...Read More
では、現代の若い画家は、日本に特有の文化的環境に対してどのように振舞っているのだろうか? 本文で取り上げる二つの展覧会のうちのもう一方は、やはり近頃、上野の森美術館で開催されたVOCA展(14)という若手画家(および平面的な作品を制作するアーティスト)の登竜門の展覧会である。そこに出展していた絵画(や平面作品)に注目...Read More
※前編の続き 毎年3月のアートフェアといえば、ニューヨークのArmory Show(8、9、10)と並んでアジア最大のアートバーゼル香港(11、12、13)が開催されてきた。それらを射程に入れていたので、私は3月東京にいることがあまりなかった。アートフェア東京を訪れる機会が少なかったのは、そのためだ。香港のフェアは、去...Read More
久しぶりにアートフェア東京(1~3)を訪れた。しばらくご無沙汰だった訳はいずれ説明するが、中止の昨年を除けば何年ぶりだろうか? そのため、今年のフェアの印象がかなり異なったとしても不思議ではない。 だが、フェアは新型コロナの影響で一変したといっても過言ではない。その際立った特徴とは、NHKのテレビのニュースで報道され...Read More
(ブログ中編より続く) 表現から粗暴さや野蛮さが消え、きれいにまとまった作品が増えてきたことは、当然の成り行きだった。世界のギャラリーは、バブル崩壊以前の攻めから崩壊以後は守りに入ったのである。 もう一つは、リーマンショックもその兆候として挙げられるが、ポストモダンの終焉が予感された2010年代に、その行き詰まりからモ...Read More
(ブログ前編より続く) 現在はベルリンにあるギャラリーPeres Projects(24、25)は、ゲイの偽悪的なサドマゾ的表現でブースを埋めた。ニューヨーク随一の前衛ギャラリーReena Spaulings(26、27)は、コレクターを罵倒する落書き作品を飾った。これらは、現在のフェアではまったく見られないアナーキー...Read More
本テクストは、2017年に行われた私のレクチャーを元にしています。なぜ2020年の現在、このテーマを再考したかというと、当時見えなかった幾つかの重要な変化が明確になってきたからです。これは、端的に今後のアートマーケットの動向を占う縁(よすが)になるでしょう。マーケットなので、あくまでコマーシャリズム(利益中心主義)で...Read More
現代アートとは、何だろうか? これは答えるのが難しい質問である。現代アートの作品は収拾がつかなくなるほど多種多様なので、普通ならすべてをまとめて語ることは不可能とされる。だが日本の現代アートは、ざっと俯瞰するだけでも、そこに共通する特徴があるように見える。 アートを包括的に説明する理論として、フロイトの精神分析学的解...Read More
(前半から続く) 作品はあるが、それが中央に対抗して拠って立つローカルの土台がない。これが、さいたま国際芸術祭が図らずも暴露した真実である。この真実を知ることは重要である。さいたまは、ローカルを再構築いやこれまで不在だったのだから構築すべきである。その際、当たり前だが「カッコいい」、「ダサい」の美的基準を中央(東京)に...Read More
5 平川恒太《太陽の民 顔ハメパネル》 さいたま国際芸術祭(1)を一言で語れば、それが「さいたま」を意識すればするほど、ローカル色が薄れていくということである。行政区分のローカル(さいたま市)は、確かに存在する。だが、そのローカルとしての特徴(ローカリティ)はほとんどないように見える。それは、「さいたま」が...Read More
36 キム・ユンチョル《クロマ》 表層的ではあるものの濃厚な密やかさを体験できたのは、前述した横浜美術館のスペースの半分までだった。それ以降は、タイトル=テーマの「残光」らしき要素も、それから派生する密やかさの雰囲気も消えてしまった。タイトルのサブテーマとなるようなキーワードは、各スペースに並べられた作品を...Read More
24 レヌ・サヴァント《ミリャでの数カ月》2-2(2-1からの続き) ここで是非とも強調しておかなければならないのは、雰囲気が密やかとはいえ何も起こらない平穏な現実ではないということである。いや、それどころかカタストロフィが起こる前であったり後であったりしている。それだけではない。制作の最中にコンフリクトを抱える題材も...Read More
2. 今回のトリエンナーレは、一つの線に沿って辿ることのできる構成だった。二つのメイン会場のうち横浜美術館がより中心の展示場であり、さらに横浜美術館のスペースは、あたかも一方向の順路があるかのように作品が配置されていたからだ。またプロット48も、入口に近い南棟から奥の北棟へと観覧者の動線を引くことができる。 だが、残念...Read More
1. ヨコハマトリエンナーレ2020は、新型コロナウイルスのパンデミック下で開催された数少ない国際展の一つ(私の知るかぎり、ヨコハマトリエンナーレ以外にシドニー・ビエンナーレ、マニフェスタ〔マルセイユ〕、ベルリン・ビエンナーレ、釜山ビエンナーレがある)である。自由に海外渡航できない不測の事態(実際、上記のビエンナーレを...Read More