【The Evangelist of Contemporary Art】アートフェアのなかのアートフェア、Frieze London 2023(その4) 市原研太郎(文・写真)
5. 結び: Frieze Masters 2023に何があったのか?
2023年のFriezeでもっとも話題を集めたのが、Frieze Masters(1)だった。その理由をこれから説明しよう。
私はフェアの最終日、Frieze Masters(2)にいた。Frieze Londonから同じリージェンツパーク内を歩いて15分のところ(3~5)に、Frieze Mastersがある。当初ここを訪ねる予定はなかった。というのも、Mastersはアンティーク(装飾品としてアート以外に恐竜の化石(6)から石器(7)まで)、クラシック、モダンを取り扱うアートフェアで、もちろんクオリティの高い作品が揃っているなら立ち寄ってもよいが、このカテゴリーの作品を観たければロンドンにそれ相応の美術館があり、名作・傑作を展示しているので無理する必要はない。購買する心積りがないかぎり行かないと決めていた。それが急遽予定を変えて行く気になったのは、今回のMastersの評判を耳にしたからである。
まず会場(8、9)に入って、コマーシャリズム丸出しの作品が飛ぶように売れるという近年の沸騰するマーケットの事態が、ようやく吞み込めた。来場者が多数群がる作品から交換価値のマネーの匂いが立ち昇っている。しかしフェアの展示の模様から、その取引と流通を支える美術史の土台があることが確信された。古代からモダンまで出展作品は、すべて公的な歴史に書き込まれている。つまり、フェアというマーケットに並べられているのは権威ある鑑定書付きの商品(作品や装飾品)ということだ。ついでに言えば、Frieze Londonに飾られた現代アートは、まだ歴史に書き込まれていない作品を指す。
そこに日本人アーティスト(10~20)も登録されていて、驚くほど注目の的だった。棟方志功(21、22の襖絵)の回顧展が東京で開催されると、遠く離れたロンドンのマーケットで、彼の作品の値段が跳ね上がることが容易に推察された。日本人アーティストの作品のなかには胡散臭く思われるものもあったが、それもまたアーティストの個人名ではなく、歴史的に正当化されているジャンル(たとえば日本画)に属している。日本人アーティストの作品が欧米のギャラリーから出展されている様子を見ると、日本が巨大なグローバルマーケットの蚊帳の外にいると感じる。文化で儲けるチャンスを日本はみすみす取り逃し、アートの世界経済から取り残されているのではないか?
さて、Frieze LondonとともにMastersに行けと勧めた友人は、巨額な電子マネーの怪しいフローを目の当りにする絶好の機会という理由で、私を来させた訳ではなかった。フェアのこの部門に2つの特集のコーナーがあり、興味深い作品が陳列されていたからである。
一方のタイトルは、その名もModern Women(23~53)。他方は、Spotlight(54~84)である。両タイトルのセクションが、長い通路を挟んで端から端までギャラリーのブースで埋め尽くされていたのは壮観だった。前者は全員女性、後者も女性アーティストが目立った。あえてモダンの制約と言うが、その制約のなかで女性の表現が輝いていたことを明らかにする素晴らしい演出だったと思う。この企画が、2022年ヴェネツィア・ビエンナーレの国際展部門のテーマから引き継がれたものであることは間違いない。フェアは、その流れを汲む女性アーティストの作品をマーケットで展開していたのだ。Frieze Mastersの特別展示が、作品が売れるかどうか定かではないアートフェアで行われたというセンスの良さと冒険心には敬服した。
なお、ビッグおよびメガ・ギャラリーのブースもすべてではないが、この特集に賛同して現代アートの女性アーティストの個展(85~97)を開いていたことを付記しておく。
(文・写真:市原研太郎)
■今までの市原研太郎執筆のブログ https://tokyo-live-exhibits.com/tag/%e5%b8%82%e5%8e%9f%e7%a0%94%e5%a4%aa%e9%83%8e/
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