【The Evangelist of Contemporary Art】東京ビエンナーレは、果たして東京ビエンナーレだったのか?(1)

【The Evangelist of Contemporary Art】東京ビエンナーレは、果たして東京ビエンナーレだったのか?(1)

 新型コロナウィルス感染爆発は勿論のこと、今夏は酷暑や大雨の気象異変で、開催期間中、野外鑑賞に適した日は少なかった。また、新型コロナ禍が長期に渡り、ビエンナーレ自体も延期されたり、来日できなかったり作品を出展できなかった海外の参加アーティストが多かった。したがって今ビエンナーレは、目指された本来の姿から遠くかけ離れたものになったことは想像に難くない。さらには私が鑑賞した9月のビエンナーレ最終週の時点で、すでに終了した展示があった。本展評は、この最終週の9月の5日間に鑑賞した東京ビエンナーレの批評であると、前もって断っておきたい。

 さて、会場のエリアが東京の東部、ビエンナーレの概要では北東部に位置するので、公平を期すため北東東京、あるいは少しゆるく東東京ビエンナーレと命名すべきだったのではないか。展示の内容が地域密着だったので、なおさらそう思う。

 とはいえ、東京の北東部だけでも相当広い。それを踏破するには1週間でも足りない。私は街歩きが好きなので、あまり苦にしないが、大変なことは大変だ。夏の暑さのなかでは、相当に疲れる。実際、道を間違えたときは回るのを諦めようかと思ったほどである。ただ、このアートイベントは都市を理解することが隠された大命題になっているので、会場巡りを放棄することは展覧会を観ないに等しい。

 海外の同様の例を挙げるなら、ミュンスター(ドイツ)の野外で行われる「彫刻プロジェクト」も広域に渡るが、ミュンスター名物の自転車を使えば3日ほどで回れる。もっと大規模な国際展のヴェネツィア・ビエンナーレは、本体のビエンナーレに同時開催の他の展覧会を含めて全部鑑賞するのに、2週間はかかる。私は過去に無謀にもそれを実行したことがあるが、それが遂行できたのもヴェネツィアが多数の運河と狭い路地の網の目を巡らしたルネサンス以来のこじんまりした都市だからだ。

 東京ビエンナーレに戻れば、東京やその近辺の住民でない人が東京に来て観て回ることを想定していたのだろうか。想定するなら、いっそのこと細切れにして持ち回りの区単位のビエンナーレにしてはどうか。

 今回の東京ビエンナーレを大きく括れば、「町おこし」型のビエンナーレである。ただし、行政主導の「地域アート」ではなく、草の根の、市民というよりキュレーターとアーティスト主導のビエンナーレだった。それは高く評価されてよい。ただし、主催者の大半がポストモダン世代なので、展覧会に「前衛のゾンビ」が紛れ込むことはなかったようだ。

 東京ビエンナーレは東京ビエンナーレだったのか? これが、展覧会の最終週に観て回った私の感想で、それを本展評のタイトルにもした。その理由は、前述のエリアの問題もあるが、東京ビエンナーレの「東京」とは何だろうと、会場の間を歩きながら考えたからである。東京は、ビエンナーレ会場があるエリアに限っても、様々に異なった表情を見せる。地域密着の作品が並ぶビエンナーレなので、それを考慮に入れないわけにはいかない。

 「町おこし」の町で言うと、私はかつて東京を巨大な田舎町と形容したことがある。東京に昔から住む都民は少なく、全国から流入者が多い都市の住民構成だからだ(さらに近年では海外からの流入組が増加している)。そのようなよそ者しかも田舎出の住民が多い都市の文化は、どうしてもダサくなるだろう。なので、私は東京人をカッペの集まりと放言した。それは謝りたい。だが、間違ってはいない。それを前提に、そこに生きる人間としてダサカッコいい文化を紡ぎ出せばよいではないか。

 ところが日本(東京)は、近代化の劣等感に急き立てられる模倣癖をまだ拭えていない。それが、東京のカッペ気質に帰結する。近代的にしようと欧米の真似をすればするほど、ダサくなるのだ。そうではなく、100年以上続く模倣の歴史的なダサさは仕方ないとして、その近代化の蓄積を保持・活用して、その上で模倣をやめカッコよさを追求する。現在は、この意味でのダサカッコいい文化形成に取りかかるときである。東京ビエンナーレも、その一助になればよい。そう私は提言したい。

 私がビエンナーレの最終日にかけて観た作品を基に批評することはすでに述べた。それでも、全体の2/3は鑑賞できたと思う。残念なのは、ビエンナーレのプログラムのひとつ「ストーリーテラー」のデジタルガイドをほとんど体験できなかったことだ。そのなかの建築史家、陣内秀信による「水都東京の軸線2」常盤橋のデジタルガイド(1~4)では、日本橋川に架かる常盤橋は千代田区(5)と中央区(6)の境界にあり、渋沢栄一の像(7)と彼と関係の深い日本銀行(8)に挟まれている。そのような説明を現地で聴きながら風景(9~14)を眺めていると、普段見なれた景色が「見なれぬ」ものになることなく、風景の歴史的理解が深まると思われた。

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 もう一例を挙げれば、東京駅前(15)にほとんど誰も知らないだろう男性像がある。しかも、それは2007年から10年間東京駅の改修工事で撤去されていたそうだ。それが駅前の広場に何気なく復活した。その像の説明を、「ストーリーテラー」で美術史家の木下直之氏がしている。従軍画家だった猪熊弦一郎の上野駅に掛かっている1951年作の『自由』のガイドも彼がしているのだが、戦後の混乱期に制作され設置された彫刻作品のユニークなエピソードを語っている。

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 それによれば、この彫刻はギリシャ語のアガペ(神の愛)とタイトルされた人物像で、東京駅に向けて両腕を上げて立っている(16~18)。その作者は、軍人の像で名を馳せた彫刻家、横江嘉純で、処刑されたB、C級戦犯の追悼碑であるという。かつて兵士の出征の起点であった駅に向けて、大きく手を広げたこの人物は、神でなければ何者か? しかも、彼は半裸である。どう考えても戦争と軍隊にまつわるホモソーシャルの匂いがする。私の想像が正しいなら、この像はなんと倒錯的だろうか?!

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 そのモヤモヤした思いを払い除けてくれたのが、日暮里にある唯一の会場(19、20)で投影されていたフィオナ・アムンセンの映像作品『引き継がれる息遣い』(21~28)である。それが、上述のアガペ像によって引き起こされた陰鬱な気分を浄化してくれた。戦争のアーカイヴ映像に東京空襲の模様を語る女性の証言が重ねられ、戦争の悲惨と戦争反対の強いメッセージを発していたからだ。

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 同様に、日本の戦争を描いた映像作品がもう一点あった。3331アーツ千代田に近い古い蔵(29、30)の2階で上映されていた台湾のチェン・フェイハオの『オセロ』(31~33)である。近年、日本の歴史を掘り下げるアジア(日本の元植民地)のアーティストが増えている。日本でも知られているシンガポールのホー・ツーニェンは言うに及ばず、先日FBで紹介した香港のロイス・アンもそうしたアーティストだが、フェイハオは、川上音二郎がシェークスピアの『オセロ』を翻案して舞台を旧植民地の台湾に置き換えた戯曲の台本読みを、現代の台湾人にしてもらった。そのなかで、彼らは自身の目で川上の戯曲を冷静に鋭く分析する。日本の歴史を外側から批判しているのだ。これは非常に貴重な証言であり、我々が耳を傾けなければならない有用な意見である。この作品は、今ビエンナーレのなかで必見の映像作品だっただろう。

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 (文・写真:市原研太郎)

【The Evangelist of Contemporary Art】東京ビエンナーレは、果たして東京ビエンナーレだったのか?(2)に続く

■市原研太郎他のブログ https://tokyo-live-exhibits.com/tag/%e5%b8%82%e5%8e%9f%e7%a0%94%e5%a4%aa%e9%83%8e/

Kentaro Ichihara
美術評論家
1980年代より展覧会カタログに執筆、各種メディアに寄稿。著書に、『ゲルハルト・リヒター/光と仮象の絵画』(2002年)、『アフター・ザ・リアリティ―〈9.11〉以降のアート』(2008年)等。
現在は、世界の現代アートの情報をウェブサイトArt-in-Action( http://kentaroichihara.com/)にて絶賛公開中。

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