【The Evangelist of Contemporary Art】5月に行われた3つのアートフェアについて【1】  Taipei Dangdai 2023―Taipei Dangdaiの一隅で発見された確信犯的キッチュは、このフェアの救世主になるか?

【The Evangelist of Contemporary Art】5月に行われた3つのアートフェアについて【1】 Taipei Dangdai 2023―Taipei Dangdaiの一隅で発見された確信犯的キッチュは、このフェアの救世主になるか?

 2023年台北で開かれたTaipei Dangdai(1、2)をやや大げさに総括すれば、欧米のギャラリーがガゴシアンを筆頭にして総崩れだった。実は、欧米の主要なギャラリーの多くが参加していないために、他のグローバルなアートフェアと通底する《一本の筋》がないフェアだったのだ。

 この《一本の筋》は欧米のアートの歴史であり、フェアに出展したギャラリーが、その歴史の大きな流れに沿って上流と下流に配列され、さらにこの本流からどのくらい離れているかで、中心と周縁のヒエラルキーが形成される。つまり《一本の筋》とは、アートフェアを含む現代アートを支える屋台骨であり、この欧米中心のアートの歴史を追認するのが、アートフェアのギャラリーの配置図(3~5)となる。

 それゆえフェアの中心にメガギャラリーが、そこから同心円状にビッグ(有力)、老舗、中堅、新人の順にギャラリーが軒を並べる。その欧米の有力ギャラリーがTaipei Dangdaiに不在の訳は、新型コロナの影響というより、わざわざ現代アートの周縁の台北まで遠征するギャラリーが少ないという歴然たる事実による。

 ビッグギャラリーで出展しているのは、ベルリンの最大手Konig(6~8)やニューヨークのLehmann Maupin(9~11)といったアジアに足場のあるギャラリーか、あとはベルリンの古参ギャラリーEIGEN+ART(12~14)や、欧米ではないが上海の有力ギャラリーShangArt(15~17)あたりだが、EIGEN+ARTは作品は悪くはないが相変わらず同じアーティストをレプリゼントし、ShangArtは伝説のスイス人ディレクターが去って、覇気が失せた。

 メガギャラリーでは、Gagosian(18~21)とZwirner(22~28)が出展。前者は力を抜いたお座なりさが見てとれ、後者は追いかけるギャラリーがないので、貫禄の近現代アートの古典を並べた。

 だが、欧米ギャラリーの総崩れの根本的な原因は、私が常々言っている欧米のアートの行き詰まりだろう。残念ながら、それを建て直す特効薬はない。

 このようにメガの下のクラスの欧米の有名ギャラリーがいないと、グローバル・スタンダードが可視化されない。アートバーゼルやフリーズといった大型アートフェアの意義は、作品の売買は当然として、ギャラリー間の序列が決められることにある。つまり、ブースの場所取りでグローバルなヒエラルキーを白日の下にするのだ。ギャラリーのグローバルな勢力関係の見取り図が、アートフェアで顕示されるのである。

 そのヒエラルキーがないとすれば、グローバルな秩序がないのだから、グローバル・スタンダードとエマージングを一まとめに披露する必要はない。新人や若手のギャラリーがエマージングと呼ばれるためには、グローバル・スタンダードがなければならないからだ。それがなければ、それらのギャラリーはビッグ予備軍のエマージング(新進)ではないことになる。

 このように《一本の筋》がないことが、アートフェアからギャラリー間のヒエラルキーを消し去り、世界のギャラリーの地勢図をフラットにする。これによって、Taipei Dangdaiは権力の空白を生み、暫時だが自由で爽やかな光景を出現させて、意想外の展望を垣間見せてくれた。

 他方で、Taipei Dangdaiはアートの根本的行き詰まりを受けて、それを打破するステルス爆弾を仕掛けているように思われた。モダンアートにとっての掟破りの反則技を展開していたのだ。勿論全体ではなく、その片隅だが、いくつかの台湾と中国のギャラリーの壁には特筆すべき作品が掛かっていた。

 あるカリブ海地域出身のアーティストのヴィデオのナレーションに「周縁はシミュラークルばかり」という科白があったが、グローバル・アートの周縁にあるギャラリーは、ないものねだりをしない。開き直ってオリジナルを求めない。つまり伝統に回帰することなく、シミュラークルに徹するのである。それだけでは中心の模倣だと、いつもながら周縁への嘲弄を浴びるので、「キッチュ」という中心の禁じ手を密かに導入して、オリジナルの欧米を出し抜くことを試みる。

 繰り返すと、この奇襲作戦はアートの周縁のアジアだからできる。周縁はシミュラークルだらけなのでシミュラークルは日常茶飯事である。それにキッチュの決定打を加味して欧米を凌駕する。この確信犯的キッチュが、これらの中国、台湾のギャラリーに飾られた作品(29~42)にあった。

 それと比べれば欧米のアート(43~45)はまともすぎる。彼らはオリジナルだからである。中心の欧米の正統派は、歴史が終わってオリジナルの重苦しい自己反復しかない。当然、本流と傍流の事情の違いだが、本流が異端の傍流を真似ると単なる悪ふざけ、一例をあげれば前掲のKonigに飾られた作品(8)のようになる。

 だがこれが起きるのは、アジアのギャラリーのすべてではない。相変わらずベタなポップアート(46、47)や漫画のキャラクター(48、49)、また伝統回帰という意味では、アジアの水墨画に依存したり、モダンのアブストラクトを踏襲するギャラリーもある。そして異端の奇襲作戦ではなく正攻法で趣味の良さで売るなら、ギャラリー名はダサいがAsia Art Center(50~56)を挙げておこう。最後に、シミュラークル+キッチュは、De Sarthe(57、58)のようなファンタジックとも異なる。同ギャラリーが所在する香港の政治状況がいかに現実逃避を促しているとはいえ。

 この最先端の逆説的なエッジ(欧米からは、シミュラークルをキッチュの白粉でまぶしてあるので、表現の腐敗に見えるだろう)は、グローバルなアートシーンで、グローバルの弱点を巧みにつき、周縁が中心を転覆する唯一の方法を示しているのかもしれない。

(文・写真:市原研太郎)

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Kentaro Ichihara
美術評論家
 1980年代より展覧会カタログに執筆、各種メディアに寄稿。著書に、『ゲルハルト・リヒター/光と仮象の絵画』(2002年)、『アフター・ザ・リアリティ―〈9.11〉以降のアート』(2008年)等。現在は、世界のグローバルとローカルの現代アート情報を、SNS(Twitter: https://twitter.com/kentaroichihara?t=KVZorV_eQbrq9kWqHKWi_Q&s=09、Facebook: https://www.facebook.com/kentaro.ichihara.7)、自身のwebサイトArt-in-Action( http://kentaroichihara.com/)、そしてTokyo Live & Exhibits: https://tokyo-live-exhibits.com/tag/%e5%b8%82%e5%8e%9f%e7%a0%94%e5%a4%aa%e9%83%8e/にて絶賛発信中。

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