【The Evangelist of Contemporary Art】市原研太郎のパリ・レポート(11/25~12/2)[2]

【The Evangelist of Contemporary Art】市原研太郎のパリ・レポート(11/25~12/2)[2]

Day 3(11/27)

 パリ滞在3日目は、パリ市立近代美術館(1、2 ※写真番号、以下同)へ。

写真1、下2

 ポンピドゥーセンターが1970年代に開館してからその影に隠れてしまったが、ポンピドゥーより古くからある美術館(パリで近代といえば、ここだけだった)で、若かりし頃近くの狭い屋根裏部屋に住んでいた私は、やはりすぐそばのシネマテーク・フランセーズの映画と並んで、ここによく来て無料のパフォーマンスを観覧したものである。

 その近代美術館で開催しているのはアルバース夫妻の回顧展、Anni & Josef Albers「Art and Life」(3~5)。夫のジョセフの方は、“Homage to the Square”とタイトルされた幾何学抽象絵画のシリーズ(後出)でつとに有名だが、妻のアンニの方もジョセフと同伴しながら、テキスタイル(織り)のアーティストとして精力的に活動していた。それを知っている日本人は少ないだろう。

以下3〜5

 今回の展覧会で、彼女が夫に劣らず彼女が優れた才能をもったアーティストであることが確認された。アンニ(6~21)とジョセフ(22~37)の業績は、二人が師弟関係にあったバウハウス時代から、ナチスの圧力によるドイツのバウハウスの閉鎖後アメリカに渡り、ブラックマウンテンで教育に携わった時期まで、「素晴らしい!」の一語に尽きる。

以下6〜21

以下22〜37

 だが1950年代に入って、ジョセフは“Homage to the Square”(38~44)のシリーズを開始したのをきっかけに、制作の方法に変化が生じたのではないか。それは、方法(理論)が感覚に優先するということである。理論に従って構成される作品は半永続的に再生産できる。矩形のなかに矩形を入れ子状に収めるというこの制作の理論は、コンセプチュアル・アートのコンセプト(概念)の前触れと言ってよいだろう。だが、無限の作品のバリエーションと引き換えに失われたものは大きいのではないか? それは、理論が優先して置き去りにされた感覚である。勿論ジョセフは習作を重ねることで、そのような悪弊に陥ることを防ごうとしたが、展覧会に並べられた大量の作品を眺めていると、矩形のなかの矩形が不毛なクリシェに見えてくる。

以下38〜44

 アンニにも同時期変化が訪れる。それは、彼女の「触覚的なもの」を重視する創作が突きつけられたアポリアへの反応ではないか。まずそれは、彼女の紐の結び目の作品に現れる。立体を平面にどう還元するかというモダニズム特有のアポリアに、彼女は、結び目が連続する装飾品(45、46)や、結び目の絡まりを表象するデッサン(47、48)で答えている。彼女の強みは、キュビスムの視覚とは違って「触覚的なもの」を手掛かりに解決することだった。

45、下46

47、下48

 だが、それが逆にアダになった。彼女のこの試みが、ジョセフがこだわった物理的な平面を乗り越えるレベルに達したこともあったように思うのだが、畢生の大作『Six Prayers』(49、50)で、アンニは危険な綱渡りから足を踏み外してしまう。結び目(結節点)が現実世界に頽落したのである。その作品は、ホロコーストの犠牲となった600万人のユダヤ人の魂を鎮めるもので、アンニが切望したそれは彼女を満足させただろう。だが、大前提としてアートがイメージであることを想い起せば、「触覚的なもの」を通じて現実世界に着地することは、イメージから離脱するので致命的である。確かに、現実がアートになることはある。しかし、現実が現実のままでアートになることはない。アートすなわちイメージが現実になるとき、初めて現実はアートになるのだから。

49、下50

 このようにアルバース夫妻の後期から晩年にかけての集大成と呼ぶべき作品は、各々別の意味で躓きの石になったと思われる。ジョセフはフォーマリズムの行き詰まりの袋小路に、アンニはモダニズムの物質主義の罠に捕まったのである。

 前回の滞在で見落としたギャラリーCrevecoeur(本稿[1]参照)は、今年10月パリで行われた若手・新進ギャラリーを集めたアートフェアParis Internationalに出展していた。この国際的なアートフェアには、パリから3軒のギャラリーが参加していて、残りの2軒がLefebvre & FilsとCiaccia Leviである。

 Lefebvre & Fils(51、52)は、パリの左岸にあるセラミック専門のギャラリーである。今回は常設展だったが、私が一度会ったことのあるイギリス在住の日本人アーティストUrara Tsuchiyaの作品(53~57)を中心に飾っていた。Ciaccia Levi(58)は、右岸のギャラリーが密集するマレ地区にあり、ポンピドゥーセンターから遠くない。そこで開かれていた個展は、バングラデッシュ生まれでアメリカ育ち(つまり移民)のSrijon Chowdhuryの「A Still Life」(59~67)。人物画を静物画(still life)と呼ぶのは奇妙だが、描かれた人間が、静物のように凝固して見えるとすれば、彼/彼女をモチーフとした絵画を静物画に分類することに違和感はないだろう。実際、Chowdhuryの描く形象は、彼らが鑑賞者に向けて挑発的で不穏なポーズを取っているにしても、静止して動く気配がない。だから余計に、彼らが不気味な脅威に感じられるのだ。

51、下52

53〜57

58
59、以下〜67


Day 4(11/28)

 パリのモンパルナスの人通りの少ない通りに、アールヌーボーとアールデコの混合様式のファサードを持つ瀟洒な建物(68)は立っている。ジャコメッティ・インスティチュート(69)と命名されたその小さな美術館は、近くにあった彼のアトリエ(70)を移設したうえで作品が飾られている。そこで、ジャコメッティの作品に交じって展覧会を行っていたのが、アメリカ人の女性彫刻家Barbara Chase-Riboud。彼女の作品とジャコメッティのそれとの共演(71~74)は興味深いものだったが、私の訪問の目的は、現代アーティストのダグラス・ゴードンの作品の鑑賞だった。彼はこの建物の室内の環境に介入する目立たない作品(75~77)を提示していた。目を凝らしてみれば、黒い片手が二階の手摺を軽く握っている。それは何を意味するのか?

68
69
70
71、以下〜74

75、以下〜77

 手といえばゴードンは自らの手や腕を作品化(78)するほどこだわりを持っているが、ジャコメッティも手と腕の彫刻(79)を残している。この二人の作品を見比べると、モダンの彫刻家による手(腕)の価値とポストモダンのゴードンの手のそれとの違い、つまり抽象的な掴む手の開かれた存在と、場所に寄生する弱々しいリアルな手の違いは明白だろう。勿論、どちらが正しいということではないが。

78
79

 寄生的といえば、ジャコメッティ・インスティチュートから徒歩ですぐの所にあるカルティエ財団現代美術館(80)で個展を開催していたダミアン・ハーストの桜の絵画シリーズ(81~93)は、その典型のような作品だった。彼は、巧みに大衆に取り入る(ハーストの寄生先は大衆)。それは、ある種のコケティッシュなのだが、単純に女が男に媚を売るのとは異なる。絵の具のマチエールという絵画の最大の武器を使って大衆を誑かすコケティッシュなのである。これは、高等な人心掌握術だ。会場の盛況さ(94~97)が、その威力を十二分に裏づけていた。

80
81、以下〜93

94、以下〜97

 とはいえ、そのシリーズは咲き乱れる桜の花を描いた絵柄のバリエーションにすぎない。断言してしまえば、ハーストの花の絵のテクニックはお世辞にも上手とは言えず、端的に酷い出来である。
その他に言えることがあるとするなら、彼はフェティッシュ化したマチエールの扱いに長けている。これが、現代のポストモダンのグローバルスタンダード、つまりポストモダンとモダンの折衷技法の基礎であり、この時代のアーティストの表現の一般的特徴であってハーストはその先駆者だったのだ。

 それでも彼の人気を説明できないとすれば、この絵には桜=マチエールが舞い飛ぶ瞬間の錯乱がある。それは、ハーストの初期作である輪切りにされた動物と同じ効果である。ということは、桜の絵画シリーズは腐ったものが発するポイズンの最後の一滴だろう。吐き気を催す腐臭の人目を欺く媚態に、自らの本能に忠実な大衆はあっさり欺かれる。ハーストを支持するのは、実は現代アートが嫌ってきたあの大衆だったのだ。

 おそらくこの絵が密かに狙っているのは、ポストモダンの袋小路であえてモダンに立ち戻り、その勢いで歴史の扉を一回転させて次代にもんどりうつという捨て身の戦法ではなかろうか。だが、再び時代の先頭に立とうとするハーストの儚い野望は、必然的に失敗する。

(文・写真:市原研太郎)

■今までの市原研太郎執筆ブログ https://tokyo-live-exhibits.com/tag/%e5%b8%82%e5%8e%9f%e7%a0%94%e5%a4%aa%e9%83%8e/

Kentaro Ichihara
美術評論家
1980年代より展覧会カタログに執筆、各種メディアに寄稿。著書に、『ゲルハルト・リヒター/光と仮象の絵画』(2002年)、『アフター・ザ・リアリティ―〈9.11〉以降のアート』(2008年)等。
現在は、世界の現代アートの情報をウェブサイトArt-in-Action( http://kentaroichihara.com/)にて絶賛公開中。

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