【The Evangelist of Contemporary Art】最近開催された二つの展覧会をつなぐと見えてくる日本絵画の特殊性(後編)
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【The Evangelist of Contemporary Art】最近開催された二つの展覧会をつなぐと見えてくる日本絵画の特殊性(後編)

 では、現代の若い画家は、日本に特有の文化的環境に対してどのように振舞っているのだろうか? 本文で取り上げる二つの展覧会のうちのもう一方は、やはり近頃、上野の森美術館で開催されたVOCA展(14)という若手画家(および平面的な作品を制作するアーティスト)の登竜門の展覧会である。そこに出展していた絵画(や平面作品)に注目し、彼ら/彼女らの表現における物質性への対処の仕方を簡単に検討してみたい。

(14)VOCA展

 毎年開催されるVOCA展を、私は褒めたことがない。去年までは。その理由は、若手アーティストの出展作品のクオリティの問題(評価基準への疑問)もあるが、この展覧会の体制に対する批判があったのだ。つまるところ、この展覧会は参加アーティストというより、展覧会の枠組みを構成する関係者のためにある。この展覧会に出展される作品に賞を授与する選考委員、彼らに作品を提供する推薦人、そしてこの展覧会を統括する主催者である美術館、これらアートの専門家の三位一体のヒエラルキーを確立するために作品が利用されるといった権威主義の匂いがプンプンしていたのである。

 本来、このような抑圧的なヒエラルキーを否定して自由な表現を志向するのが、現代アートではないか。それでも、なぜか気になって展覧会を観に行くのだが、毎回何かと難癖をつけて批判してきた。VOCA展には出ないほうがよい。出品すれば、既述の権威を堅固にするだけである。運悪く推薦されたとしても賞は獲らないに限る。体制に使い捨てにされるから。実質的にも、昨年までの展示作品は、敢えて言及するほどのレベルではなかった。

 だが、どうしたことか、今年の出展作は、後述する作品以外にも総じてレベルが高い。

 なぜ、そうなったのか? 考えられる理由は?

1.絵画を制作するアーティストに新たな世代が出現し、ようやく絵画が何であるか理解されるようになった? 新型コロナは、不幸中の幸いだったのかもしれない。自粛要請で、外部に注意が向かうのではなく、制作に集中できる環境が偶然的にも作られた。そうなることで各アーティストの問題意識が深化し、明確な表現を析出した。

2.選考委員と推薦者が交代して、後者の記したキャプションを読むと、テーマに社会性、政治性のある表現が選ばれている。そのおかげで表現が濃密になった。現代は、それほど内容が重要な時代である。たとえば、VOCA佳作賞を獲った弓指寛治の絵画(15、16)は、脱線する列車を漫画チックにダイナミックに描いている。が、これが若いアーティストの知らない戦時中の満州での鉄道事故であると知るとき、画面に描かれた緊迫した光景は俄然深刻さを増す。これを、漫画表現のリアリティ(一般に漫画に特有の現実逃避のイデオロギーではなく)に対する挑戦と解釈できるだろう。

弓指寛治(15)
弓指寛治(16)

 確かに今年のVOCA展の成功は、新型コロナのせいかどうかは定かではない。また、推薦者、選考委員のおかげかも分からない。ただ、アーティストの絵画に対する姿勢の本気度をいくつかの作品から感じ取ることができた。それだけでも大した収穫ではないか。
以下、とくに目についた作品を挙げて注釈を加えておこう。

・榎倉 冴香『東京ガールフレンズ 2020』(17、18)
 作品は、女性が描くヌードである。その構図はピカソの『アビニヨンの娘たち』(本文前編参照)を枠組みにしているので、キュビスム的に歪曲されたヌードの歴史を矯正していると思われる。キャプションにある通り、鑑賞者の視線は焦点が定まることなくさ迷う。したがって女性たちは見られる対象にならないのだが、確かな存在感を抱懐している。日本の絵画の基底にある物質性を巧みに操作し、裸体の女性像の存在の肯定に用いているのだ。

榎倉 冴香『東京ガールフレンズ 2020』(17)
榎倉 冴香『東京ガールフレンズ 2020』(18)


・水戸部 七絵『Picture Diary』
(19、20)
 マッシヴなポップの絵画は、今まさにポップの壁を越えようとしている。プリミティブな図像(左の肖像は、ベーコンの絵画のデフォルメの反響か?)は、荒々しい着色ともども作者の決意のほどを示して狂気めいているのに、まことに可愛い。

水戸部 七絵『Picture Diary』(19)
水戸部 七絵『Picture Diary』(20)


・鄭 梨愛『Vision』
(21、22)
 作品の主題は、家族の歴史とその喪失と癒しの可能性だが、それを通して朝鮮の過酷な歴史に思いを馳せることができるだろう。それを、ベールで包んで文字通りぼやかせる。だが、そうすればするほど秘めたる感情がますます強く浮かび上がる。

鄭 梨愛『Vision』(21)
鄭 梨愛『Vision』(22)


尾花 賢一『上野山コスモロジー』(23~26)(各写真は作品の部分です。ご了承ください)
 つげ義春風の断片的な漫画のコラージュで、上野公園と美術館・博物館の歴史(過去と現在)を探る。上野の古今を活写する漫画の構成による上野の歴史絵巻は、日本の現実を赤裸々に物語る。

尾花 賢一『上野山コスモロジー』(23)
尾花 賢一『上野山コスモロジー』(24)
尾花 賢一『上野山コスモロジー』(25)
尾花 賢一『上野山コスモロジー』(26)

 さて彼らの表現は、具象画で内容が強調されるとはいえ、素材の物質性が知覚されないわけではない。水戸部の盛り上げられた絵の具のボリューム(物量)は言うに及ばず、榎倉の同系色の薄塗の絵の具であれ、鄭の重ねられた紗の華奢なベールであれ、尾花のレリーフ状のコラージュの輻輳する支持体であれ、スキゾフレニックでスマートな映像を緻密に展開する永田康祐(27、28)の液晶モニターの画面の滑らかで透明な平面(背景の映像の平面性にも注目)であれ、物質性が感じられる。その上で、彼ら/彼女らは物質性を基盤にイメージを構成することに細心の注意を払っている。それは、吉國元の描くアフリカ人やアジア人(29、30)が、そのなかから姿を現すアフリカの豊かなジャングルのマチエールにも確実に存在しているのである。

永田康祐(27)
永田康祐(28)
吉國元(29)
吉國元(30)

 (文・写真:市原研太郎)

【The Evangelist of Contemporary Art】最近開催された二つの展覧会をつなぐと見えてくる日本絵画の特殊性(前編)
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Kentaro Ichihara
美術評論家
1980年代より展覧会カタログに執筆、各種メディアに寄稿。著書に、『ゲルハルト・リヒター/光と仮象の絵画』(2002年)、『アフター・ザ・リアリティ―〈9.11〉以降のアート』(2008年)等。
現在は、世界の現代アートの情報をウェブサイトArt-in-Action( http://kentaroichihara.com/)にて絶賛公開中。

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