【The Evangelist of Contemporary Art】Tokyo Gendai 2023: 「東京現代」は何を意味するのだろうか? たしかにアートフェアは、作品(商品)を展示販売する高が見本市である その3
3.レジスタンスの作法: 今や資本主義マーケットの権化となったアートフェアで、誰が抵抗するのか?
最後に問いたい。冒頭の副題で「高が」アートフェア(展示即売会)と述べたが、アートが完全に資本主義マーケットに取り込まれた21世紀のフェアで、作品をギャラリーの店先に並べる個人のアーティストに何ができるのか?
新自由主義というマーケット第一主義が猛威を振るい、経済格差が広がるのをアーティストは指をくわえて傍観するというより、
前節の終わりで指摘したように奇妙に不釣り合いな光景のTokyoで、フェアの選択を間違ったかと思われるギャラリーとアーティストの作品があった。
ギャラリーは、ニューヨークをベースにした日本人ギャラリストが経営するUlterior Gallery(42)である。
アーティストは、新自由主義経済下の悲劇へのコミットメントを密かに散種する青山悟である。
前者に展示されたのは、アイデンティティの不安定さを隠されたテーマとし、その歪な反映をモティーフとして鑑賞者に差し出すCarrie Yamaokaの作品(43~47)。日系アメリカ人のYamaokaは、彼女の作品を鑑賞する人間に、彼女/彼を映し出す歪曲された虚ろなイメージを突きつけ、「お前は何者か?」
Mizuma Art Gallery(48)の青山の刺繡作品(49~54)は、マーケットのギャップを乗り越えることと、資本主義マーケット自体を乗り越えることを同時に遂行しようとしている。青山は、「日本はマーケットが小さいのに、なぜマーケット志向の作品ばかりなのか?」と嘆いていた。
以上の2人の作品は、新自由主義の日常茶飯なカタストロフを、華やかなアートフェア会場の片隅で披瀝するインスタレーションで、抵抗の意思を表明している。たしかに、それは目立たない無力な異議申し立てだろう。だからこそ非力なアートは光を放って鑑賞者個人の心に刺さり、記憶に刻まれるのだ。その記憶が世界を変えないと、誰が言えようか!
(文・写真:市原研太郎)
■今までの市原研太郎執筆のブログ https://tokyo-live-exhibits.com/tag/%e5%b8%82%e5%8e%9f%e7%a0%94%e5%a4%aa%e9%83%8e/
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