W'UP! ★ギャラリー冬青

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202118日(金)~130日(土)
渡部さとる写真展「銀の粒」
日曜・月曜・祝日 休廊 入場無料
展示:銀塩作品 27

作品案内
20062月に『da. gasita』をギャラリー冬青で展示してから、僕の新しい人生が始まったと言ってもいい。
以来16年間で11回の写真展を開いてきた。
2005年にスタートしたギャラリー冬青の歴史は、そのまま僕の写真家としての歩みとぴったり重なる。
僕が僕であることを許される場所を常に用意してもらっていた。
しかし昨年、「2021年をもってギャラリー冬青は閉めることになります。次が渡部さんにお願いする最後の写真展になります」と告げられた。
何事にも始まりがあって終わりがある。
数年前からは毎年1月、ギャラリー冬青の口開け展示をまかされるようになった。その時から、僕は会期中は常に会場にいることを自分に課した。
そしてずっと考え続けていた。
僕は何が撮りたかったのか、何を見せたかったのか。
ひとつだけ言えるのは僕の写真は「銀の粒」の集まりでできている。
僕の写真家としての人生は、これからも続いていく。
だから、少しでもその答えに近づくために、いままでと同じように、最後の冬青での個展も、ずっと会場の椅子に座り、来てくれた人と会話を交わしていきたい。

2月5日(金)〜2月27日(土)
森谷 修 写真展「バリの祈り」
日曜・月曜・祝日 休廊 入場無料

作品案内
 強い日差しが照りつけていた。暑かった。汗が噴き出し、自分が発する熱気でファインダーが曇った。旅の終着地。最後のカットを撮り終えて、僕は空を眺めた。
 2005年、僕は4度目となるインドネシア・バリ島への旅をしていた。まるで何者かに導かれるように、海辺のリゾートを抜け出し、彷徨っていた。道々、町があれば町に寄り、寺院があれば寺院に寄った。
 バリ島は、神々が棲む島と呼ばれる。身の回りにたくさんの精霊がいると信じられている。少し歩けば寺院に突き当たる。岩を削り積み上げつくられた独特の様式で、歴史も古く、山の方へ行けば南国特有の木々が暴れる
ように覆い尽くす様にも出会う。観光名所とは全く別の凛とした空気が支配してる。
 街中では、“チャナン”という小さなお供えが置かれている。店の前、車の中、ありとあらゆるところにある。摘んだばかりの生花、その色鮮やかな花びらが、バナナの葉などを編み込んだ皿の上にちりばめられる。独特の香りもある。身近にいる精霊たちへの祈りと感謝の印。 悪い精霊であるとしても、悪さをしないでね、と。チャナンをお供えする女性の姿もあちこちでよく目にした。その姿は美しく、とても印象深く僕の目に映った。
 そんなフラフラとあてのない旅路を続けながら、僕はある小さな村にたどり着く。そこは、昔ながらの生活習慣を守る村。一部に電気が通ったばかりの古い田舎の村であった。畑を耕す者、竹細工をする者、カカオを採取する者、ほとんどの人が民族衣装を身にまとっている。素朴な暮らしぶり、楽しそうな人々の笑顔、僕は全てにカメラを向けた。いろいろな人と話をした。一緒に村の寺院に出かけたりもした。
 人々は、拝むときに手を頭の上に持ち上げなら手を合わせていた。聞けば聖なる山「アグン山」への祈りだそうだ。バリ・ヒンズーの聖地、大いなる山「アグン」。次に胸の前で手を合わせ、寺院にいらっしゃる神々に祈る。お前のこともお祈りしたよと、僕の頭に花びらをかけてくれたおばあさん。僕も見よう見まねながら祈りを捧げた。
 人々の暮らしの中にとけ込む、人間と目に見えぬ精霊との関係性。思えばこれは何も特別なことではなく、僕が暮らすこの日本にあっても同じである。年神様がやってくるお正月、鬼は外とやる節分、山にも木にも川にも海にも、八百万の神々があらゆるものに宿っている。
 ふと、気がついた。彷徨う旅の道案内は、バリ島の大いなる力「アグン」なのではないか。直感的にそう思った。足をのばせば、アグン山を望む最高位の寺院ブサキがある。頑張れば限られた時間の中でたどり着けるであろう。その場所をこの旅の終着地としようと決めた。
 海沿いのリゾート地という混沌とした場所を「俗」とすれば、アグン山やブサキ寺院は「聖」であろう。僕の旅は、「俗」から「聖」に向かう旅であったと言ってもいいのではないだろうか。両者は、決して相対するものではない。
渾然一体となった、どちらもあって世界なのだと思う。バリ島に降り注ぐ強い太陽の光と、強い日差しによってできる影は、両者が一体であるという事を象徴している。
 僕は汗を拭きながら、終着地である寺院の長い石段を登った。遠くに見えるアグンを眺め、次に振り返り、眼下に広がる平地を見渡した。
 太陽は真上にあり、石段の照り返しも強い。目を細め、僕はゆっくりと腰を下ろした。日差しが容赦なく照りつける暑い暑い日であった。 真っ青な空に、白い雲がぽかりと浮かんでいた。

 

4月2日(金)〜4月24日(土)
亀山 仁 写真展「戦禍に立つ樹」
日曜・月曜・祝日 休廊 入場無料
展示:銀塩作品 27点

作品案内
 2020年3月、太平洋戦争の痕跡が残るミャンマーのメイッティーラやチン州を訪れた。メイッティーラで日本人不在でも毎年戦没者慰霊を続ける村で慰霊祭に参加した。戦後、日緬の交流を続け友好を築いて来た先人の思いが伝わって来たが同時に戦後75年経ち継続の困難さや次世代へ継承の課題を感じた。
 私は2005年からミャンマーを撮影し写真展や写真集出版などしてきた。同時に医療や教育を通したミャンマー支援を続けているが様々な人との出会いから日本とビルマ(ミャンマー)の関係性を考えるようになった。
 戦前は両国の関係は少なく、映画「ビルマの竪琴」や「インパール作戦」で知られている太平洋戦争の日本のビルマ侵攻が不幸な歴史であるがその契機になっていた。帰国した元日本兵の話や戦記等に書かれていた「ビルマは親日的」の言葉が頭の片隅に引っ掛かっていた。戦争に巻き込み犠牲を強い、多大な迷惑をかけたのになぜ「親日的」となったのだろうか?
 ビルマ戦は約33万人が出征し19万人が犠牲になったと記録されている。生き延び帰国した彼らは現地に残さざるえなかった同胞への思いを胸に戦後、遺骨収集や慰霊に現地を訪れるようになった。そのなかで元日本兵と村人の再会から始まる物語があった。
 ミャンマーの中央部の交通の要所メイッティーラから南へ車で30分の街道沿いのウェレッ村は1945年3月8日、英印戦車部隊(約2000人と戦車30両)を日本軍(約300人と大砲2門)が迎え撃つ戦闘が行われた。圧倒的な兵力と物量の前に厳しい戦いを強いられた日本軍だったが勇敢に戦う日本兵の様子を樹の上から見ていた当時13歳の少年がいた。戦戦後30年、慰霊のため村を訪れた元中隊長と元少年が再会し交流が始まった。村に井戸を掘ったりお寺を建てたりし2000年から毎年3月8日に村人総出で慰霊祭を開催するようになり現在に至っている。
 当時の戦闘地域や日本兵の敗走ルートからこのような話はミャンマー各地に多くあったのだろう。帰国兵の多くが戦争中にビルマの人たちに助けられた恩返しや迷惑をかけたことに対する贖罪の思いから、村を支援し交流を深める過程で良い関係を築いてきたのだろうと思う。「親日的なミャンマー」と戦後世代の我々が口にする際は、先人たちが築き上げて来た歴史をミャンマーと関わる者として忘れてはならない。
 戦後75年が過ぎ、当事者であった元日本兵の逝去、高齢化のため現地を訪れる日本人は少なくなり、また現地も当時を知る人たちも同様に高齢化が進み慰霊の中止や慰霊碑の劣化が当時を後世に伝え残すことの困難さを表している。
 私はミャンマーに残る戦禍の痕跡や記憶を写真を通して残し伝えていきたい。

住所東京都中野区中央5-18-20
TEL03-3380-7123
WEBhttp://www.tosei-sha.jp/
営業時間*111:00 ~ 19:00
休み*2日、月、祝
ジャンル*3写真
アクセス*4丸の内線中野駅一番出口より徒歩5分
取扱作家http://www.tosei-sha.jp/TOSEI-NEW-HP/html/ARTISTS/j_artists.html
*1 展覧会・イベント最終日は早く終了する場合あり *2 このほかに年末年始・臨時休業あり *3 現代美術は、彫刻、インスタレーション、ミクストメディア作品、オブジェなども含まれます *4 表示時間はあくまでも目安です 【注】ギャラリーは入場無料ですが、イベントにより料金がかかる場合があります

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