W'UP★11月22日~1月18日 小林徳三郎 東京ステーションギャラリー(千代田区丸の内)

小林徳三郎
会 期 2025年11月22日(土)~2026年1月18日(日)
会 場 東京ステーションギャラリー(東京都千代田区丸の内1-9-1)
開館時間 10:00~18:00(金曜日は20:00まで)※入館は閉館30分前まで
休館日 月曜日(ただし11月24日、1月12日は開館)、11月25日(火)、年末年始(12月29日~1月2日)
入場料 一般1,300(1,100)円、高校・大学生1,100(900)円、中学生以下無料 ※( )内は前売料金[10月1日~11月21日オンラインチケットで販売] ※障がい者手帳等持参の方は200円引き(介添者1名は無料)
ホームページ https://www.ejrcf.or.jp/gallery/
小林徳三郎(1884-1949)は、日本近代洋画の改革期に活躍した画家です。1909年に東京美術学校を卒業、若者による先駆的な絵画表現で注目を浴びたフュウザン会に参加し、雑誌『奇蹟』の準同人となり、出版の仕事や劇団「芸術座」の舞台装飾に携わりました。また、洋画家として院展や円鳥会展に出品、1923年からは春陽展を中心に発表を続け、鰯や鯵といった魚を主題とした作品を数多く描き、周囲に強い印象を与えました。
40代半ば頃より、自分の子供たちをモデルに何げない日常を表現した作品が増え、時にはマティスを連想させる明るい色や筆遣いの静物なども描いていくようになります。晩年は、江の浦(沼津市)をはじめ自然風景に興味をもち、海景や渓流など同じ主題に取り組み、死の直前まで精力的に筆を握り、春陽展への出品を続けました。徳三郎の死後、美術界での扱いの低さに対して、画家の硲伊之助は「もっと評価されるべき画家」と憤慨したと逸話が残っています。
本展は、小林徳三郎の初の大回顧展であり、約300点の作品と資料により、その画業の展開を追うものです。写真家、洋画家、文学者、演劇関係者、美術評論家ら大勢から愛された画家による、どこか心惹かれる日常的な光景をお楽しみください。
長年行方不明だった代表作《金魚を見る子供》が久々に登場!
長年行方不明だった代表作が久々に登場!本展のメインビジュアルにもなっている《金魚を見る子供》 (1928年、油彩・カンヴァス、45.3×53.0cm)は、小林徳三郎が息子を描いた作品です。1929年、洋画団体「春陽会」第7回展にて発表され、春陽会の重鎮・山本鼎から「傑作です」と称賛されました。その展覧会場では絵葉書1000枚が完売し、再販されるほど人気を博したそうです。
その後、某企業の応接室に飾られていましたが、いつしか行方が分からなくなっていました。幸いなことに今年の春、作品の所在が判明。東京国立近代美術館の収蔵品に新たに加わり、 修復が行われました。本展が久々のお披露目の機会となります。
- 《金魚を見る子供》1929年 広島県立美術館
- 《鰯》1925年頃 碧南市藤井達吉現代美術館
- 《花と少年》1931年 ふくやま美術館
- 《港のみえる風景》1915年頃 個人蔵
- 《モクバクワン 画稿4》1915-18年頃 個人蔵
- 《西瓜》1932年 広島県立美術館
- 《子供たち》1932年 個人蔵
- 《鳥籠》1930年 ふくやま美術館
- 《海》1942年 東京国立近代美術館
画家・小林徳三郎のルーツ
小林徳三郎は選んだ題材を、とことん描きました。その最初期の例が、のちに徳三郎の妻となる政子で、さまざまな姿を捉えたスケッチなどが残されています。また、港や岸辺の風景、見世物や観客の様相にも強い関心をみせました。東京美術学校やフュウザン会で出会った仲間たちと切磋琢磨していた頃、油彩と水彩だけでなく木版やエッチングにも取り組み、画風は細やかなタッチから、ラフなものへと展開しました。この頃に知り合った友人のなかで、その後も関わりが特に深かった眞田久吉、萬鐵五郎、木村荘八、硲伊之助の作品もご紹介します。
家計を支えたのは大正期に花開いた大衆文化だった
劇団「芸術座」の看板女優・松井須磨子が公演『復活』で披露した劇中歌「カチューシャの唄」は現在でも知られる大ヒット曲ですが、当時、小林徳三郎は同劇団の舞台装飾の仕事をしており、松井須磨子は徳三郎の支援者でもありました。本展のための調査によって発見された膨大な資料のなかから、舞台背景・衣裳・美術のデザイン案とともに、戯曲や小説、『文章世界』など出版物のために手がけた下絵や原画を展示。当時の仕事ぶりを掘り起こします。
日常を題材に代表作が生まれる
大正時代末期から昭和8(1933)年頃までが、小林徳三郎の洋画家としての充実期といえるでしょう。春陽会の仲間から「鰯の徳さん」と認識されるほど周囲に強い印象を与えた大胆な筆触による魚の作品、屈指の名作《金魚を見る子供》をはじめとする家族を描いた代表作を一堂に展示します。小説家の林芙美子は徳三郎の作品を所蔵しており、彼の作品の魅力を「空気のはいった、生活のはいった何気なさにある」と表現しました。
晩年も衰えぬ制作意欲
余儀なくされた療養から復帰後、南画風の風景画なども好んで描くようになります。晩年は、人物、静物のほか、入り江、渓流、自宅周辺などの風景を題材に多く描き、素朴ながらも風格を備えた作品を残すと同時に、洒脱な静物画も好んで描きました。東京国立近代美術館における洋画第一号の收蔵作品となった《海》や、支援者であり親友でもあった福原信三を描いた《室内のF氏(F氏の居間)》といった代表作だけでなく、気軽に描いた素描類も見どころのひとつです。
プロフィール
小林徳三郎 略歴
1884年 1月8日、広島県福山町(現在の福山市)で生まれる
1896年 東京市芝区の正則尋常中学校に入学、同級生に福原信三(資生堂創始者/写真家)がいた
1909年 東京美術学校西洋画科を卒業
1912年 ヒュウザン会(1913年から「フュウザン会」に名称変更)の創立に参加
1913年 島村抱月が中心となり劇団「芸術座」が結成され、斎藤与里らとともに舞台装飾に携わる
1919年 再興院展洋画部に《鰯》(所在不明)を出品
1922年 野島康三邸で「小林徳三郎個人展覧会」を開催
1923年 萬鐵五郎とともに円鳥会結成に参加。第1回春陽展出品
1924年 頌栄高等女学校で美術教育に携わる
1926年 春陽会会員推挙
1929年 春陽展出品作品《金魚を見る子供》(1928年)の絵葉書が評判になる
1933年 肺結核にかかり千葉県の館山で療養生活を送る(~1936年)
1934年 短歌を始める
1939年 静岡県の江の浦や山梨県の河口湖に滞在して制作
1945年 空襲で世田谷区の自宅焼失。箱根強羅の福原信三の別荘の一角に疎開
1949年 疎開生活を切り上げ、豊島区に引っ越す
1949年 心臓麻痺のため自宅で亡くなる(65歳)
※会期中、一部展示替えがあります
※都合により開催内容が変更になる場合があります
※本展は、ふくやま美術館(2026年4月11日~6月7日)、岩手県立美術館(2026年6月20日~8月23日)、碧南市藤井達吉現代美術館(2026年9月12日~11月8日)に巡回予定です
主 催 東京ステーションギャラリー(公益財団法人東日本鉄道文化財団)、東京新聞
特別協力 広島県立美術館
協 賛 T&D保険グループ
無料ご招待券プレゼントは定員に達したため、締め切りました。ご応募どうもありがとうございました。当選者:吉原様(江戸川区)小林様(鶴見区)汲田様(清瀬市)鹿野様(町田市)糸数様(松戸市)
| 住所 | 東京都千代田区丸の内1-9-1 |
| TEL | 03-3212-2485 |
| WEB | https://www.ejrcf.or.jp/gallery/ |
| 開館時間 | 10:00 ~ 18:00 金曜 〜20:00(最終入場は閉館30分前まで) |
| 休み*2 | 月曜日(祝日の場合は翌平日/ただし会期最終週、ゴールデンウィーク・お盆期間中の月曜日は開館)、年末年始、展示替期間 |
| ジャンル*3 | 近代美術、建築、デザイン、工芸 |
| 入場料*4 | 展覧会により異なります。 |
| アクセス*5 | JR東京駅丸の内北口すぐ、東京メトロ 丸の内線東京駅より約3分、東西線大手町駅より約5分、千代田線二重橋前駅より約7分 |
| 収蔵品 | |
| *1 展覧会・イベント最終日は早く終了する場合あり *2 このほかに年末年始・臨時休業あり *3 空欄はオールジャンル *4 イベントにより異なることがあります。高齢者、幼年者、団体割引は要確認 *5 表示時間はあくまでも目安です | |
東京ステーションギャラリー(千代田区丸の内)












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