文京区立森鴎外記念館(文京区千駄木)

文京区立森鴎外記念館(文京区千駄木)

 鴎外は明治25(1892)年に30歳で文京区千駄木に居を構え、亡くなる大正11(1922)年まで30年に渡り家族と共に暮らしました。 団子坂(別名:汐見坂)上に位置し、家の二階から東京湾が見えたことから、鴎外により観潮楼と名付けられました。
 観潮楼は火災、戦災などにより現存しませんが、跡地は昭和25(1950)年に児童公園となり、昭和37(1962)年に鴎外生誕100年を記念して、文京区立鴎外記念本郷図書館が開館。 平成24(2012)年に生誕150年を記念して当館が開館しました。
 旧正門の礎石、イチョウ、「三人冗語」の石などは現在も残り、東京都指定旧跡「森鴎外遺跡」として文化財保護の対象となっています。 現在は鴎外の遺品資料約3,000点、鷗外三男・類旧蔵資料約6,000点、図書資料約15,000点を所蔵しています。
 また、記念館の設計者 陶器二三雄氏は、当館の設計により、2014年 第55回BCS賞、2015年 日本芸術院賞、日本建築学会作品選奨を受賞しています。

森鴎外について
 本名森林太郎。1862(文久2)年、代々津和野藩の典医を務める森家の長男として生まれました。
 10歳のとき父と共に上京し、ドイツ語を学び東京大学予科に最年少で入学。大学では医学を学び、卒業後軍医となりました。1884(明治17)年からは、軍の衛生学の調査及び研究のためドイツへ留学しました。
 帰国後は軍医としての仕事のかたわら、小説「舞姫」「雁」「山椒大夫」「高瀬舟」、史伝「渋江抽斉」などを執筆。医学・文学の評論や小説・戯曲等の翻訳、ヨーロッパ文学の紹介などを行い、明治を代表する知識人として活躍しました。
 1907 (明治40)年には陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任、1916(大正5)年まで務めました。陸軍を退職した翌年からは、帝室博物館総長兼図書頭の職につき、上野の帝室博物館や秋には奈良の正倉院にも赴き、亡くなる直前まで仕事を続けました。
 千駄木団子坂上にあった「観潮楼」には家族とともに30年間、1922(大正11)年7月9日、60歳で亡くなるまで暮らしました。

※以上、同館ホームページより

W'UP! ★10月12日~2025年1月13日 特別展「111枚のはがきの世界 ―伝えた思い、伝わる魅力」 文京区立森鷗外記念館(文京区千駄木)

住所東京都文京区千駄木1-23-4
TEL03-3824-5511
WEBhttps://moriogai-kinenkanjp
開館時間10:00〜18:00(最終入館は17:30)
休み*1毎月第4火曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館、翌日休館/第4月曜日、第4水曜日が休館の場合あり)年末年始(12月29日~1月3日)、及び展示替期間、燻蒸期間等
ジャンル*2小説家森鴎外に関する資料
入場料*3一般 300円、20名以上の団体は240円、中学生以下無料、「身体障害者手帳」「愛の手帳(療育手帳を含む)」「精神障害者保健福祉手帳」をお持ちの方とその介護の方(1名)※特別展は展示により料金が異なります
アクセス*4千駄木駅1番出口より徒歩5分、本駒込駅1番出口より徒歩10分
収蔵品https://moriogai-kinenkan.jp/modules/collections/index.php
 *1 臨時休業あり *2 空欄はオールジャンル *3 イベントにより異なることがあります。高齢者、幼年者、団体割引は要確認 *4 表示時間はあくまでも目安です

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