Promo picture of Otava Yo folk group, Wikipediaより
1986年、チェルノブイリの事故(1986年4月26日)の1週間後、私は、イギリスへ行く途中、ロシア(当時ソ連)でトランジットしたことがある。トランジットのため飛行機を降りると、機関銃を持った兵士が5mおきぐらいに立っているところに出た。
結構待つし、何もやることもないし、トイレにでも行っておこうかなと思い、周りを見回し、あっ、機関銃を持っていない優しそうな女性の軍人さんがいると思い、その人に話しかけに行ったら…
その瞬間、ガチャ、ガチャ。
私の腰に機関銃が2丁、突きつけられた。
マジ?
英語のわかるロシア人でよかった。
私は、機関銃を突きつけられたままトイレに行って用を足してきた、という恥ずかしい思い出がある。
でも、今はそんなこともないらしい。
ちょうど1年くらい前、妻と娘がロシアにハマっていた時期があり、旅行までしていて、その時、妻が教えてくれたのがOtava Yoである。
(Otava Yo=オタヴァヨ、ロシア語 Отава Ё。刈り取りの終わったあとに育つ草、後草、追い草などの意味らしい)
彼ら、数年前に、既に日本に来ていたしく、その時は見ることができなかった。
今度は、どこかの国のフェスで見たいと思っている。
Otava Yoは、伝統的な楽器を使い、民族的な音楽を現代に落とし込んでいて、自然とも共生しているような感覚を覚える。
いわゆる、若者やロック好きの間で流行っているスピードフォークと言われる音楽とも一線を画していて、伝統的な音楽という点から見ても、国営放送で取り上げられてもおかしくないクオリティなのである。
美しく、楽しく、文化的なのである。
ロシアン・トラッドバンドというくくりでは収まらない、ロシア民謡、パンク、ロック、映画音楽、アニメ音楽、コメディ、 ワールドミュージックなどをミックスした、奇跡的にといえる、万人に受け入れられる音楽を紡ぎ出している。
言わずもがな、New York Indie Film Award ミュージックビデオ部門<最高賞のダイヤモンド>を受賞。<ワールドミュージック・ネットワーク>ビデオチャートで1位を獲得している。
文・藤井悟
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Satoru Fujii
DJ
80年代中頃からレゲエ・ロック・パンク・レベルミュージックDJの草分けとして椿ハウス、P.PICASSO、MIX、328などで活躍。メスティソ、パチャンカ、クンビア、ロックラティーノなどワールドミュージック系レパートリーを得意とし、FUJI ROCK FESTIVAL、朝霧ジャム、EARTH GARDENなどの出演や、2000年からは舞台を欧米に移し、STREET BEAT FESTIVAL(イタリア)、世界最大のレゲエフェスティバルROTOTOM SUNSPLASH 2012など世界トップクラスのアーティストと共演。2017年、歴史と考古学の間の空白の時間に迫るエッセイ「連想」も出版した。
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