【Physical Expression Criticism】いまも続くアンデパンダン展~2~
横浜開港アンデパンダン展
現在、関東では、前回解説した1947年から続く日本アンデパンダン展のほかに、もう一つ、アンデパンダン展がある。2009年に始まった横浜開港アンデパンダン展で、2021年、9回目を迎えた。どちらも無審査のため玉石混淆だが、注目すべきは、パフォーマンスやインスタレーションなどが行われる点だ。
美術展のパフォーマンスは、個展などの際に当人や関係者が行うことが多いが、このような大規模なグループ展で行うことは、個展より観客層の広がりが期待できる。また、1950年代から始まった日本のパフォーマンスの流れが、ここに続いていることは意味があるだろう。
当時のハプニング、アクション、儀式といった言葉は使われなくなり、パフォーマンスという言葉も多様な意味となった。また、インスタレーションも、一時は「設置芸術」と呼ばれたが、言葉も知られるようになり、展示も当たり前になった。だが、美術家、アーティストが、具体的な形象や作品を産み出すのではなく、時には、自分の芸術的衝動、混沌(カオス)を直接外に出すものとしても、また、時には作品制作の過程として、パフォーマンスやインスタレーションは有効だろう。アンデパンダン展、特に、関東で続いている二つのアンデパンダン展は、そういうパフォーマンスなどが行える場所として機能している。
パフォーマンスのインパクト
だが、美術のパフォーマンスは、もはや目新しくない。たいていのパフォーマンスは、すでに同じようなことがなされている。例えば、歯を磨き続けるパフォーマンスは、1962年、ヨシダ・ヨシエが企画した敗戦記念晩餐会(国立市公民館)で吉村益信が行った。この展覧会は、出演者が料理して食べて、それを観客が見るというパフォーマンスによる「晩餐会」だった。さらに、風倉匠が焼き鏝を自らに押しつけると、舞踏家、土方巽がさらに風倉に行ったという有名なエピソードも知られている。このとき、ネオダダ・オルガナイザーズのメンバーの吉村は、血が出るまで歯磨きを行った。
つまり、吉村の歯磨きパフォーマンスを知って行うのと、知らずに行うのは、意味が違ってくる。だが、知らずに見る人には、感じるところがあるかもしれない。
過激といわれるパフォーマンスも数々ある。1959年、現代舞踊協会の前進の新人公演(第一生命ホール)で土方巽は、大野慶人に股間で鶏を絞め殺させたと見える舞台を行ったが、それは舞踏の始まりとされる舞踊作品『禁色』として知られる。
舞台で小便をするパフォーマンスは、二つ見たことがある。大便は、ビタミン・アートこと小山哲生が、1968年、上野・本牧亭の「狂気見本市」で、バケツの中のリンゴに大便をして、それを観客席に投げつけたという記録もある。
また、70年代から90年代まで日本に在住したステラークの自らをフックでつり下げるパフォーマンス、あるいは、マリーナ・アブラモビッチが、自らの身体に五芒星を刻むといった、自傷的行為のパフォーマンスも美術史に残る。なお、ステラークのパフォーマンスは、身体改造の先駆ともされる。
他方、2012年には、東京・阿佐ヶ谷ロフトで行われた、切った男性性器を料理して食べる「性器を食す世紀のイベント」も耳にした。殺人以外は大半のことが行われているかもしれない。だからこそ、パフォーマンスは単なるインパクトではだめだろう。だれしも、見たことがないものを見たいのだが、その衝撃だけではないものが必要なのだ。
舞踏と音楽のパフォーマンス
第9回横浜開港アンデパンダン展(2021年3月31日~4月4日)で行われたパフォーマンスの一つを紹介しよう。
メイン会場である桜木町の横浜市民ギャラリーの隣に、伊勢山皇大神宮があり、サブ会場になっている。ここでは、記念館で展示も行われ、例年、境内のお焚き上げ所で、縄文「土器・土偶づくり」のワークショップ、さらにふれあい広場でパフォーマンスが行われる。そのなかで注目すべきは、4月4日に行われた多田正美、大串孝二、三浦一壮、山田裕子によるパフォーマンスだった。
多田正美は、さまざまな音楽パフォーマンスを行っているが、その一つが竹を使ったものだ。竹を切って、中を空洞にして、それぞれが音階を構成する。それを投げ落とすと、音が降ってくるように感じられる。それを大量に結んで体に絡めて、動き、暴れることで音を出す。また、長いパイプでディジリドゥのような音を出すなど、現代音楽のパフォーマンスを行う。多田は、70年代中旬、曽我傑、佐野清彦らとGAPを結成し、海外公演も行うなど、現代音楽シーンでも知られる存在だ。大串孝二は、墨を使ったアクションペインティングにより作品をつくることが多いが、時にはパーカッション的な音によるパフォーマンスを行う。この二人の音とアクション(動き)に呼応して、84歳の舞踏家、三浦一壮と、ダンスの山田裕子が踊った。
三浦一壮は1937(昭和12)年、満州生まれで、60年代からパフォーマンス的な舞台を生み、1977年にはパリに「舞踏舎」を率いてナンシー演劇祭で注目された。さらに、ワークショップとともに欧州を巡演した。以降、舞台活動を停止していたが、2017年、舞踏家として復活して踊り続けている。
山田裕子は、バレエやダンスを学び、身体を自在に扱えるとともに、大胆かつ自由な発想での即興ダンスを得意とする。二科会に出品し、個展を行う美術家でもある。
会場となった伊勢山皇大神宮ふれあい広場は、下が空洞らしく、コンクリートの地面をたたく音が響いて、効果的だった。そこで、技術も存在感もある4人の表現者たちが繰り広げるパフォーマンスは、見ごたえがあり、初めて見る観客も引き込まれるものだった。そして、メイン会場の横浜市民ギャラリーでも彼らの展示が行われた。さらに、星埜恵子の企画による、昨年亡くなった画家、池田龍雄(1928~2020年)を追悼する展示もあった。なお、池田龍雄も、1973年から「梵天の塔」パフォーマンスをたびたび行った。
アンデパンダンの意味
アンデパンダンという形式は、いわば何でもありなので、玉石混淆になりやすい。だが、すでに評価されたもの、権威づけられたものだけでは、新たな芸術は生まれない。また、師そっくりの作品がいくつも並ぶ公募展よりは、新たな発見があるともいっていいだろう。銀座などのギャラリー回りをする人にとっては、思いもかけない作品に出会うチャンスである。そして、インスタレーションやパフォーマンスは、作家のリアルを感じられる機会、さらに作家と直接ふれることができる機会としても貴重である。エンターテイメントでないパフォーマンスのどこに魅力を見いだすか、それは受け取る側によって、さまざまだろう。
ただ、理解可能なものは、すぐ消費され、消えていくことも多い。芸術に接するというのは、一種、わからなさに向き合うことであり、また、疑問の投げかけこそ、芸術表現の特質の一つであるともいえる。それは、本人にもはっきりはわからない、混沌の表出といってもいい。その意味と価値は、受け取る側に託される。日本におけるアンデパンダン展の歴史は、その「わからなさ」への挑戦の歴史といってもいいかもしれない。
※いまも続くアンデパンダン展~1~ を読む
■志賀信夫他のブログ https://tokyo-live-exhibits.com/tag/%e5%bf%97%e8%b3%80%e4%bf%a1%e5%a4%ab/
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