【Aohitokun's Thoughts】3.11 国立西洋美術館・飯山由貴アクションについて


このプロテストは、出品作家の一人、飯山由貴さんたちの行動で、イスラエルのパレスチナ侵攻への抗議および美術館のオフィシャルスポンサーでもある川崎重工業に対するイスラエルから武器輸入・販売への抗議でした。
飯山さんは、プロテストを読み上げたのち、ダイインを行いました。また同日、もう一人の出品作家の遠藤麻衣さんも百瀬文さんと停戦を訴えるゲリラパフォーマンスを決行しました。
国立西洋美術館の発祥は、川崎造船所、現在の川崎重工の初代社長、松方幸次郎氏の西洋美術コレクションです。1959年ル・コルビュジエ設計の美術館がオープン。そのため川崎重工は、美術館のスポンサーとして支えていた歴史があります。また同美術館は、現代美術の展覧会や現代アートのコレクションは行わない方針だそうです。
それを今回、65年に及ぶ同館の歴史上初めて、現代美術の企画展を開催することとなったのです。企画したキューレターは、作品の墓場としての美術館ではなく、未来に向けた問いかけの場にしたいと語り、同館を批評的にも捉えた画期的な内容でもあります。

そこで行われた今回のアクションは、計画的だったのか、ハプニングだったのかは分かりません。会場のスタッフに聞くと、「乱入です」とも答えていましたが、想定内だったようにも見えました。
アートの世界も、AI、NFTとどんどん進化しています。国内では、クールジャパンの夢物語を語るような、アートというブランドをつけた甘美な作品で溢れています。それはそれで色々あっていいのかもしれません。時代は変わるのですから。
昨年、隣にある国立科学博物館の運営資金の困窮から募ったクラウドファウンディングの大成功は記憶に新しいと思います。
ふと感じるのは、人類を支配するシステムが、お金の多寡に移ったのではないか、ということです。
正義も思想も愛も夢も平和も安心もアートも、必須条件は、お金は払えますか?儲かりますか?ということです。
アーティストたちは、そんな世界観を誰よりも早く察知し、人々に語りかける媒介者(メディア)です。今回のハプニング?は、そういう意味では、展覧会のキューレションも含めて、間違っていなかった。アートはちゃんと未来に向かって流れていると示してくれたのではないでしょうか。
というと、迷惑行為はアートであろうとも許されない、それは別の話だ、という反論が聞こえてきます。音楽に政治を持ち込むな、との批判も思い浮かびます。
それでも自分の心の底をよぎる直感のような感覚を放置したら、お金がすべての脱糞マシーンになってしまう。
考えない方が生きるのが楽だ、という声も聞こえてきますが、ここでいつも行きつくのが「じゃあ人間とは何か? 生きるとは何か?」という永遠のテーマです。
話が元に戻りますが、こういうことを表面的ではなく、より深く考えるよう、促してくれる酵素のようなものが、アートが持つ役割や意味の一つなのではないでしょうか?
自分でより深く考え、直感を大事にすることで人類は発展、進歩すると信じています。考える葦=人類という種を絶やさぬためにも。
長くなりましたが、国立西洋美術館は、この社会的に見れば小さなハプニングをどう捉えるのかは、今後、大いに注目されます。
W'UP★10月5日〜2025年2月11日 モネ 睡蓮のとき 国立西洋美術館(東京・上野公園)
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