W'UP! ★9月1日〜12月10日 企画展「大正12年の原 三溪―良きも悪しきも:大師会茶会と関東大震災―」 三溪園(横浜市中区)
2023年9月1日(金)〜12月10日(日)
企画展「大正12年の原 三溪―良きも悪しきも:大師会茶会と関東大震災―」
大正12年(1923)から100年を迎えることを期して開催する本展では、三溪の言葉を随所に配しながら、三溪旧蔵品をはじめ、支援した近代日本画の作品などを展示します。春、三溪園全園完成を期して華々しく開催された大師会茶会。そして、9月1日に横浜に甚大な被害をもたらした関東大震災。三溪にとって起伏に富んだ、波乱万丈な1年をたどります。
出品数 約40点 ※会期中、一部展示替えあり
本展のみどころ
三溪園の所蔵品のなかでも特に貴重な作品を展示。必見は、100年前の大師会茶会でも展観された原三溪の旧蔵品や三溪が支援した近代日本画家の作品などで、本物ならではの魅力を本展のストーリーとともにご覧いただくことで、近代数寄者であり、古美術蒐集家、芸術のパトロンでもあった、多面的な原三溪という人物像への理解を深めることができます。
1903(明治36)年、古美術商・今村甚吉から原三溪が購入。建造物としての多宝塔を忠実に縮小して舎利安置塔としたもの。精緻を極めた造りで、銘文に製作者並びに費用を記してあるという点で美術的価値とともに史料的価値があるものです。(原三溪旧蔵品)
1917(大正6)年に移築完了した臨春閣に合わせ、1918(大正7)年に原三溪が購入した豊臣秀吉自筆の消息(手紙)です。大師会茶会に参加した洋画家・岸田劉生(1891-1929)の日記から、本消息が第一席の展観室(白雲邸・渡廊下 ※現存せず)に「桃山史料」として飾られたことがわかります。(原三溪旧蔵品)
1925(大正14)年、原三溪が横浜の復興事業が着実に進行していくさまを祝して作詞し、当時の花柳界を通じて広く唄いひろげられた復興小唄「濱自慢」が収録されたレコードです。大正14年の初版盤で地域限定盤の貴重なものです。
そのほか、三溪旧蔵の国宝「孔雀明王像」や下村観山「弱法師」の屏風を模写したことでも知られている荒井寛方(1878-1945)の「竹林の聴法」なども展示しています。
企画展「大正12年の原 三溪―良きも悪しきも:大師会茶会と関東大震災―」
会 期 2023年9月1日(金)~12月10日(日)
前期 9月1日(金)~10月17日(火) ※10月18日(水)は展示替えのため閉室
後期 10月19日(木)~12月10日(日)
時 間 9:00~17:00(最終入場16:30)
※11月23日(木・祝)~12月10日(日)の金・土・日・祝紅葉のライトアップによる開園時間延長のため9:00~19:30(最終入場19:00)まで
会 場 三溪記念館(三溪園内)
料金無料(入園料のみ)
※ 2023年10月1日(日)より入園料改定
主 催 公益財団法人三溪園保勝会
後 援 神奈川県博物館協会
公式HP https://www.sankeien.or.jp
Instagram https://www.instagram.com/sankeien_garden
Twitter(X)https://twitter.com/HSankeien
関連イベント:ギャラリートーク
展示の概要と見どころを簡潔に紹介するギャラリートークです。担当学芸員が展示室を一緒に回りながら、解説付きでご案内します。
日程 2023年10月15日(日)・11月23日(木・祝)・12月9日(土)
時間 13:15-(約20分)
会場 三溪記念館(神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1)
料金無料(入園料のみ)
定員 各回20人
事前申込みの必要はありません。当日、三溪記念館エントランスホールにお集まりください。
トピック解説
1. 原三溪と大師会茶会
三溪園の創設者・原三溪は、製糸・生糸貿易の事業に携わる傍ら、それにより得た富を日本庭園の造成、日本や東洋の古美術蒐集、新進の芸術家たちへの支援などに注ぎ、日本文化の保護と醸成に貢献しました。益田鈍翁(本名:孝 1848-1938)、松永耳庵(本名:安左ヱ門 1875-1971)とともに、近代三茶人の一人としても知られます。
大師会茶会は、三井物産の創始者で「利休以来の大茶人」とも称された益田鈍翁が1896(明治29)年に始めた茶会です。継続的な運営をめざし、1922(大正11)年に財団法人化することになった際、理事の一人として三溪も役員に名を連ねました。新体制のもと、鈍翁の邸宅・碧雲台から会場を初めて移し、三溪園で開かれたのが、1923(大正12)年の大師会茶会でした。
本展では、この大師会茶会で展観された茶器や美術品を紹介するとともに、大師会に参加した出席者の言葉も交えながら、茶会の様子をたどります。
2. 原三溪と関東大震災
横浜に壊滅的な被害をもたらした1923(大正12)年の関東大震災時、原三溪は「横浜貿易復興会」「横浜市復興会」の会長を務め、港湾施設の再建や生糸貿易の復活に尽力し、横浜の復興に寄与しました。また、市民の活気を取り戻すため、復興小唄『濱自慢』を自ら作詞。その唄は横浜の花柳界を通じて唄いひろげられました。
本展では、関東大震災が起きたとき箱根に滞在していた三溪が4日間かけて横浜まで戻った足取りや、復興の先頭に立つまでの過程をドキュメント形式でたどります。また、三溪が公共の事業に携わるにあたって大切にした信条や会長就任時の言葉なども紹介。現代の私たちにも指針となる生き方のセンスを感じていただければ幸いです。
三溪園について
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家・原三溪によって創られ、1906(明治39)年5月1日に一般公開されました。約17.5ha(東京ドーム約3.7個分)に及ぶ園内には、廃仏毀釈などによる荒廃から守るため、京都や鎌倉などから移築された歴史的価値の高い建造物が巧みに配置されており、古建築と自然が調和した四季折々の景色が楽しめる日本庭園です。開園当初は「遊覧御随意」を掲げ外苑を24時間無料開放するなど、「美しいものはみんなで一緒に楽しむもの」という原三溪の想いが反映されています。 原三溪の存命中は新進芸術家の育成と支援の場ともなり、横山大観、下村観山、前田青邨らを輩出するなど、日本美術への貢献も評価されています。戦災により大きな被害をうけ、1953(昭和28)年に原家から横浜市に譲渡されるのを機に財団法人三溪園保勝会が設立され、現在に至ります。2007(平成19)年には国の名勝に指定され、現在園内にある17棟の古建築のうち10棟が重要文化財、3棟が横浜市指定有形文化財に指定されています。
原三溪について
原 三溪(本名 富太郎)1868(慶応4)年-1939(昭和14)年
岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれる。幼少の頃から絵・漢学・詩文を学び、1885(明治18)年、東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学ぶ。1888(明治21)年頃に跡見学校の助教師になり、1891(明治24)年、原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し原家に入籍。原家の家業を継ぐと、経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収める。住まいを本牧・三之谷へ移すと古建築の移築を開始し、1906(明治39)年、三溪園を無料開園。1923(大正12)年の関東大震災後は、荒廃した横浜の復興に力を注ぐ。三溪自身も書画をたしなみ、その作品の一部は、園内の三溪記念館に収蔵されている。
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