W'UP★9月12日~11月23日 館蔵の茶碗100撰 ―国宝から手造茶碗まで― 三井記念美術館(中央区日本橋室町)

館蔵の茶碗100撰 ―国宝から手造茶碗まで―
会 期 2026年9月12日(土)~11月23日(月・祝)
会 場 三井記念美術館(東京都中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7階)
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日(ただし9月21日、10月12日、11月2日・23日は開館)、10月13日(火)
入館料 一般1,200(1,000)円/大学・高校生700(600)円/中学生以下無料
※70歳以上の方は1,000円(要証明)。
※20名様以上の団体の方は( )内割引料金となります。
※リピーター割引:会期中、半券のご提示で、2回目以降は( )内割引料金となります。
※障害者手帳をご呈示いただいた方、およびその介護者1名は無料です(ミライロIDも可)。
ホームページ https://www.mitsui-museum.jp
当館で所蔵する茶碗の中から「国宝から手造茶碗まで」の副題のもとに、国宝・重要文化財を含む名品・優品、三井家ゆかりの茶碗など、100件を選んだ展覧会です。
三井家から寄贈された収蔵品の過半数は茶道具ですが、その中で茶碗だけを取り上げても200件を優に超えています。館蔵品による茶碗展は、約30年前(1995年)に三井文庫別館で開催した「三井家の名碗三十撰」以来になりますが、その時の図録も品切れとなって久しく、今回はそれを補う新しい図録を発行いたします。
展示は6章に分けて構成いたします。第1章「唐物茶碗」、第2章「高麗茶碗」、第3章「和物茶碗」では、国宝・重要文化財の名碗をはじめ、前回の三十撰の名碗を全て含む展示となります。さらに第4章「樂の茶碗」、第5章「永樂の茶碗(保全・和全)」、第6章「手造茶碗」として、三井家の茶の湯の歴史と関わりの深い茶碗を選んで展示いたします。
江戸時代から昭和時代まで、300年以上にわたって収集・蓄積されて当館まで伝わってきた三井家伝来の茶碗は、文化遺産ともいえますが、三井家ならではの歴史とともに一堂に見渡せるまたとない展覧会です。
- 重要文化財 中興名物 玳皮盞(鸞天目) 南宋時代・12~13世紀 三井記念美術館蔵
- 重要文化財 粉引茶碗(三好粉引) 朝鮮時代・16世紀 三井記念美術館蔵
- 重要文化財 黒樂茶碗 銘俊寛 樂長次郎作 桃山時代・16世紀 三井記念美術館蔵
- 重要文化財 赤樂茶碗 銘鵺 樂道入作 江戸時代・17世紀 三井記念美術館蔵
- 重要文化財 黒樂茶碗 銘雨雲 本阿彌光悦作 江戸時代・17世紀 三井記念美術館蔵
- 国宝 志野茶碗 銘卯花墻 桃山時代・16~17世紀 三井記念美術館蔵
- 赤樂茶碗 銘再来 三井高利所持 樂道入作 江戸時代・17世紀 三井記念美術館蔵
- 御所丸茶碗 朝鮮時代・17世紀 三井記念美術館蔵
展示構成と主な展示作品
展示室1:重要文化財と当館を代表する名碗
当館には重要文化財に指定された名碗が5点あります。玳皮盞(鸞天目)、粉引茶碗(三好粉引)、黒樂茶碗(銘俊寛)、赤樂茶碗(銘鵺)、黒樂茶碗(銘雨雲)の5点です。ここではこれらを唐物茶碗・高麗茶碗・和物茶碗の順に、古三島茶碗(二徳三島)などの名物とされる名碗を交えて展示いたします。
玳皮盞(鸞天目)は、中国江西省の吉州窯で南宋時代に焼かれた天目で、玳瑁の甲羅すなわち鼈甲のような釉景色からの名称です。見込の尾の長い鳥を瑞鳥の鸞に見立てて鸞天目とも呼んでいます。小堀遠州(1579~1647)由来の中興名物です。
粉引茶碗(三好粉引)は、朝鮮半島で16世紀に焼かれた粉青沙器の一種で、戦国武将の三好長慶(1522~1564)が所持したところから三好粉引と呼ばれています。その後豊臣秀吉(1537~1598)が所持し、江戸時代に金森家から三井家に伝わった名碗です。
黒樂茶碗(銘俊寛)は、千利休(1522~1591)の美意識と創意により長次郎が焼いた樂茶碗のなかでも作意が強く、腰の張った半筒茶碗の代表作です。
赤樂茶碗(銘鵺)は、樂家三代道入(1599~1656)の赤樂茶碗で、鬪の黒い景色から『平家物語』の「鵺退治」に因んで「鵺」の銘が付けられています。
黒樂茶碗(銘雨雲)は、その道入の協力を得て本阿弥光悦(1558~1637)が造った樂茶碗です。専門の陶工ではない光悦が、自らの興味で手造りした茶碗ですが、その茶碗が今日重要文化財に指定されているところは、まさに「国宝も手のひらから」のキャッチコピーを体現しています。
珠光青磁茶碗(銘波瀾)は、中国福建省や浙江省で南宋時代に大量に焼かれ、日本の遺跡からも出土していますが、唐物の名物に対し、わび茶に相応しいものとして村田珠光が取り上げたとされるところから、この手の茶碗を珠光茶碗・珠光青磁などと呼んでいます。
展示室2:国宝 志野茶碗 銘卯花墻
日本で焼かれた和物茶碗で国宝に指定された2碗の内の1碗です。もう1碗は本阿弥光悦作の白樂茶碗(銘不二山)(サントリー美術館蔵)です。
卯花墻は、美濃の牟田洞窯で焼かれた志野茶碗で、轆轤で挽かれた半筒形を撫で三角形に歪め、胴の随所に篭削りを施し、鉄絵で垣根の文様を描いて志野釉を掛けています。まさに国宝も手造りから始まっています。
付属の小色紙には、「やまざとのうのはながきのなかつみち ゆきふみわけしここちこそすれ」と、この茶碗の景色から詠んだ和歌が記されており、「卯花墻」の銘が付けられています。箱書と和歌小色紙は片桐石州(1605~1673)の筆とされています。
展示室3:如庵 茶道具の取り合わせ
展示室3は、織田有楽(1547~1621)の茶室「如庵」を写した展示室です。明治41年から北三井家が所有した国宝の茶室で、戦後に名古屋鉄道の所有となり犬山市に移築されました。
ここでは織田有楽にちなんだ茶道具の取り合わせです。床には有楽の消息(十月十六日春可老宛)、茶碗は伝有楽所持の大井戸茶碗(有楽茶碗)、茶杓は有楽作の竹茶杓です。
茶器は千利休「金砂」直書の黒中裏、釜は利休好の与次郎作雲龍釜を取り合わせます。
展示室4:唐物茶碗・高麗茶碗・和物茶碗
ここでは展示室1・2・3で展示した以外の唐物茶碗・高麗茶碗・和物茶碗を、ほぼ時代順に展示いたします。
唐物茶碗は中国で焼かれた茶碗ですが、最初に展示室1で展示した珠光青磁茶碗(銘波瀾)とは別の珠光青磁茶碗を展示します。江戸後期に表千家家元が箱書したものが目立ち、その頃にこの茶碗が注目されたようです。
染付雲堂手鉢の子茶碗は、明時代に景徳鎮で焼かれた、いわゆる古染付です。托鉢僧が持つ鉄鉢に似ているので鉢の子と呼ばれています。胴に雲堂模様が描かれていますが、この模様は赤絵や染付の茶碗によくあります。千利休所持とされる染付の筒形香炉を茶碗に見立てた「紀三井寺」と同じ模様です。
高麗茶碗は朝鮮半島で焼かれた茶碗です。展示室1で展示した名碗以外でもよく知られた名碗が並びます。
斗々屋茶碗(銘かすみ)は、胴の一部がうっすらと青く変化して見事な景色となっています。まさに春霞を見るようですが、荒々しい高台周辺の印象とのギャップも、この茶碗の魅力となっています。室町三井家十二代高大の遺愛品でした。
御所丸茶碗は、口辺に段が付いた沓形の茶碗です。黒釉の刷毛目や掛け分けの景色は、織部焼に通じる作意であり、日本向けに焼かれた茶碗と考えられます。制作時期は文禄・慶長の役のあと、朝鮮王朝との国交が回復する慶長14年(1609)以降間もない頃と考えられますが、織部好みとされる沓形茶碗の流行がその前提にあります。
彫三島茶碗(外花)は、古渡りの三島茶碗に倣って17世紀に日本からの注文で焼かれたものです。胴の内外に桧垣文をめぐらし、見込には花の印刻が捺され、薄く刷毛目が施されています。さらにこの茶碗は外側にも花の印刻が捺されており、特に「外花」と呼ばれて珍重されています。山県有朋(1838~1922)の所蔵品でした。
玄悦茶碗(銘まきたつ山)は、江戸時代前期に朝鮮半島の釜山窯で焼かれた御本茶碗の一種です。釜山窯は、対馬藩によって倭館内に開かれた窯で、対馬藩主宗家が注文を仲介していました。対馬藩では船橋玄悦などの茶碗焼役人を派遣させ、現地の陶工を雇って朝鮮の土で日本からの注文品を焼造しました。この茶碗は玄悦が扱った茶碗ということになります。
和物茶碗は日本で焼かれた茶碗です。
瀬戸黒茶碗(銘うたい寝)は、口径に1cm余りの歪みがあり、縁のある口造りに、胴から底にかけて深いくびれを見せる轆轤のあとが段をなしています。瀬戸黒茶碗としては作意の強い茶碗です。明治以降、『本朝陶器の誌』などで「轆部黒」と呼ばれるようになる茶碗に該当するものと思われます。なお鉄絵が加わった沓形茶碗は「黒轆部」と称されます。
高取面取茶碗は、九州の黒田藩で寛永年間(1624~1644)に小堀遠州(1579~1647)が関わり、白旗山窯で焼かれた茶陶を特に遠州高取と呼んでいます。この茶碗は腰に面を取る器形から高取面取茶碗(または高取面茶碗)と呼ばれ、遠州高取の代表作として知られています。単純な器形ながら雅で気品があり、まさに遠州の「綺麗さび」の茶碗です。
伊賀茶碗(銘西蓮寺)は、大振りの茶碗で、轆轤挽きの後に胴を楕円に歪め、高台は三方を篭で切り取った割高台としています。銘の西蓮寺は、伝来した寺院の名です。三重県上野市長田町にある天台真盛宗の寺で、北三井家三代高房が、伊賀に出かけた際にこの茶碗を見出し、所望して手に入れたもので、高房が銘を付けたものです。
色絵鱗文茶碗は、野々村仁清の作です。この茶碗は、釉を掛けて本焼きした後に、釉上に黒の上絵具を焼き付けたもので、いわゆる仁清黒と呼ばれる濃厚な黒色を呈しています。さらに赤や金彩の上絵具によって鱗文を帯状に配しています。高台内に「仁清」の小印が捺されています。仁清は御室窯で金森宗和(1584~1656)の指導を得て茶陶を焼いていますが、箱書には「濃茶茶碗 御室焼」と墨書されており、金森宗和筆との伝承があります。
展示室5:樂の茶碗・永樂の茶碗(保全)
樂家の茶碗と永樂家の茶碗は、いずれも和物茶碗ですが、本展覧会では重要文化財の樂茶碗のみ和物茶碗のなかで紹介し、別に第4章「樂の茶碗」と第5章「永樂の茶碗」として三井家と関わりの深い茶碗を取り上げてご紹介いたします。
樂家は、千利休の美意識と創意による樂茶碗を長次郎が焼いて以来、代々千家流茶道のなかで陶家としての「ちゃわん屋」として続き、当代吉左衛門で十六代を数えます。ここではほぼ時代順・歴代順に12点を展示いたします。
赤樂茶碗(銘再来)は、樂家三代道入(1599~1656)の作ですが、この茶碗は、三井越後屋創業者の元祖三井高利が所持したもので、出身地の松坂時代に一族が集まる椀飯振る舞いの席で濃茶を点てて飲んだといい、高利所持の茶道具として唯一伝わったものです。高利存命中に息子の室町三井家初代高伴が譲り受けて伝世しました。高利の妻かねが所持した台子皆具の記録もあり、当時から三井家では茶の湯が身近であったことが想像されます。
赤樂大福茶碗は、胴に「福寿」の文字と槌の絵があり、見込に亀の絵があります。胴の文字が北三井家二代高平(法名宗竺)筆で、槌の絵と見込の亀の絵(霊亀)がその息子の三代高房(法名宗清)の筆です。茶碗は樂家六代左入の作とされています。大福茶は、正月の祝儀として点てるお茶で、三井家でも大福茶を点てていますが、北三井家の文化文政頃の道具帳では、茶碗の筆頭に記されており、この大福茶碗がいかに特別な茶碗であったかがわかります。
この赤樂茶碗は、樂家九代了入(1756~1834)の作で、高台脇に表千家九代了々斎の「前後軒へ」の文字と花押の朱書があります。前後軒は北三井家六代高祐が名乗った軒号で、高祐の日記には文化8年2月に千宗旦筆「前後軒」扁額についての記事があり、この頃千宗旦好の茶室「前後軒」を自邸に整備したようで、この茶碗はその記念に了々斎から贈られたものと思われます。
樂平茶碗は、樂家十一代慶入(1817~1902)の作ですが、箱書から飛騨神岡鉱山の鹿間山の鉱石を釉薬としたことがわかります。明治以降、三井家は飛騨の神岡鉱山の経営に関わりましたが、北三井家九代高朗の指導で慶入が焼いたものです。
焼貫黒樂茶碗(銘擎雨)は、樂家十五代直入の作です。直入独特の斬新なデザインによる樂茶碗で、銘は「あめにささぐ」と読みます。銘は蘇軾の詩「贈劉景文」から取られています。
永樂家は、室町時代に初代宗禅が奈良の西村に住んで春日神社の供御器を製していたといわれ、西村姓を称していました。晩年に武野紹鴎の好みの土風呂を作り、土風呂師善五郎を名乗り、二代宗善は堺に住み、三代宗全が京都に住んで以来、代々千家の土風呂師となりました。十代了全の時、土風呂のほかに瀬戸写や交趾写などの土物(陶器)を手掛けるようになり、ここに西村家(明治4年永樂姓に改姓)の陶家(焼物師)として新たな展開が始まりました。
三井家と永樂家との交流は、了全の代から見られ、十六代即全まで続きました。この間の当館で所蔵する作品は200件を優に超えており、食器などの数物を入れると相当な数に及んでいます。中でも十一代保全(1795~1854)と十二代和全(1823~1896)の作品が150件近くに達しています。本展では、この保全と和全の茶碗に限って、32件(35点)を展示いたしました。これらの中から特に三井家とかかわりの深い茶碗をご紹介いたしますが、展示室5では、保全の茶碗3件(4点)を展示しています。
金襴手四ツ目結桐紋天目・飲中八仙人図重茶碗は、弘化4年(1847)の暮れに北三井家七代高就の還暦年賀の祝いが行われ、その際に永樂家十一代の保全から高就へ贈られた重茶碗です。天目の胴には三井家の家紋である四ツ目結が大きく配されています。
展示室6:永樂の祥瑞写
ここでは保全の祥瑞写の茶碗を展示いたします。三井家の家紋を散らした茶碗1点と、琵琶湖の大津で焼いた湖南焼の祥瑞写の茶碗6点をケース内至近距離でご覧いただけます。
祥瑞写家紋散茶碗は、三井家の注文品と思われますが、胴に三井家の家紋である四ツ目結紋、丸三紋、桐紋、木瓜紋を散らし、見込には幹が三つ巴に絡んだ松竹梅の絵が描かれています。染付が鮮やかに発色した精緻な作品です。
展示室7:永樂の茶碗・手造茶碗
ここでは前半が永樂の茶碗の続きで、後半が手造茶碗を展示いたします。
永樂の茶碗は、保全の作品が3点、和全の作品が8件21点を展示いたします。
色絵兜菖蒲文平茶碗は、兜と菖蒲を描いた色絵の平茶碗で、和全の箱書に「仁清写 端午之絵 家父保全造」とあります。保全・和全の頃は金彩が控えめで余白が多いタイプが仁清のイメージであったようです。
赤地金欄手鳳凰文天目は、明治20年(1887)2月1日、京都御苑で行われた京都博覧会で、北三井家九代高朗と十代高棟が席主となって行われた明治天皇への献茶で使用されました。点前は表千家十一代嫁々斎が行っています。この時、明治天皇から日の丸釜について御下問があり、それを記念して日の丸茶碗365個を和全が焼いており、博覧会の褒賞記念品とされました。
菊谷焼十二ヶ月絵替茶碗は、十二ヶ月各月の風物や行事を画題とした絵替り茶碗12個セットのうちの1月から3月の茶碗です。ざんぐりとした粗い胎土に薄く透明釉を掛けて乾山風の絵付けを施したもので、民藝風ともいえる素朴さと雅味があり、晩年の和全の境地がうかがえます。
茶の湯の茶碗は、ほぼ全て手造りですが、ここでは専門の陶工による茶碗ではなく、いわば素人による手造り茶碗を「手造茶碗」として括り、13件(15点)を展示しました。素人といっても茶の湯を嗜む数寄者によるもので、ここでは三井家の当主達、表千家の家元、紀州徳川家の藩主や側室・側近に関わる茶碗を選んでいます。
青樂茶碗は、北三井家二代高平(法名宗竺)の手造り茶碗で、高台脇に「七十三翁 宗竺造」の彫銘があります。高平は、三井家元祖三井高利の長男で、高利が延宝元年(1673)に三井越後屋を日本橋に開店し、京都に仕入店を設けて以来、兄弟の中心に立って事業の発展に寄与しました。隠居後は茶の湯を嗜み、元文頃から名物茶道具の収集も始めています。茶碗や竹花入なども自作しており、この茶碗はその代表的なもので、三井家の手造り茶碗として伝世する最も古いものです。
赤樂亀絵茶碗は、文政2年(1819)に和歌山の西郊西浜御殿の偕楽園で行われた御庭焼において、十代藩主徳川治宝(1771~1853)に命じられて北三井家六代高祐が手造りした茶碗で、亀の絵は徳川治宝が描いています。この御庭焼は樂吉左衛門(旦入)が樂窯を築き、治宝の側室や側近とともに行われたもので、この茶碗はそれを象徴するものといえます。
稲ノ絵茶碗は、北三井家十代高棟(法名宗恭)と妻の苞子との合作手造り茶碗です。高棟が大磯に営んだ別邸「城山荘」に永樂家を招いて築いた城山窯で焼いたもので、城山荘の土で造り、同じ土を釉薬としたものです。胴に高棟による稲の絵が描かれ、苞子が「黄金の波」と記しています。
関連イベント
土曜講座、その他の展覧会関連イベントについては、当館ホームページをご覧ください。

無料ご招待券プレゼント!
美術館様のご厚意により、入館ご招待券を5名様(各2枚)に抽選でプレゼントいたします。締切 9月20日(日)まで。
ご希望の方は、申込ワード「国宝から手造茶碗まで」を記載のうえ、美術館・会場名、展覧会名、氏名(ふりがな)、〒、住所、ご連絡先をこちら( tokyoliveexhibits@gmail.com )でご応募ください。なお転売、フリマ出品、第三者譲渡は固く禁止させていただきます。
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在原業平と伊勢物語 三井記念美術館 じっくり和歌を諳んじる機会、ゆっくりとした時間を過ごすことができます。伊勢物語という日本のマスターピースは鎌倉、室町、桃山、江戸と美術品、能楽と具現化されていく様を堪能することができました。
楽しんでいただけてよかったです!まだまだ認知の少ない当サイトの拡散よろしくお願いいたします。
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