W'UP★6月10日~9月21日 ピカソ meets ポール・スミス 遊び心の冒険へ 国立新美術館 企画展示室2E(港区六本木)

ピカソ meets ポール・スミス 遊び心の冒険へ
会 期 2026年6月10日(水)~9月21日(月・祝)
会 場 国立新美術館 企画展示室2E(東京都港区六本木7-22-2)
開館時間 10:00~18:00 ※毎週金・土曜日は20:00まで ※入場は閉館の30分前まで
休館日 毎週火曜日 ※ただし8月11日(火・祝)は開館、8月12日(水)は休館
入館料 一般 2400円、大学生 1400円、高校生 1000円
※中学生以下、または障害者手帳をご持参の方(付添の方1名含む)は無料 ※7月29日(水)~31日(金)は高校生無料観覧日(学生証の提示が必要)
ホームページ https://art.nikkei.com/picasso_ps26/
お問合せ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
パリ国立ピカソ美術館が所蔵する20世紀を代表する芸術家パブロ・ピカソの作品にインスピレーションを得て、英国人デザイナーのポール・スミスが会場のレイアウトを考案した、かつてない展覧会です。自由な発想で創り上げられた会場は、色鮮やかさと楽しい驚きに満ちています。「青の時代」の《男の肖像》や、《アルルカンに扮したパウロ》などの代表作を含む約80点を緩やかな時系列で紹介します。本展は2023年パリで開催されたピカソ没後50周年記念の特別展「Picasso Celebration: The Collection in a New Light!」を基にした国際巡回展で、日本では国立新美術館のみで開催します。
パブロ・ピカソ
パブロ・ピカソ(1881-1973)は20世紀で最も影響力を持った芸術家の一人で、伝統的な絵画の概念を根底から覆した革新者として知られています。生涯を通じて作風を著しく変え、様式の特徴に従って、制作時期は「青の時代」や「バラ色の時代」などと呼ばれてしばしば区分されます。とりわけジョルジュ・ブラックと共に創始したキュビスムは、対象を複数の視点から解体して再構成し、絵画表現の新たな扉を開きました。この実験精神は傑作《アヴィニョンの娘たち》(1907)として結実します。また絵画や彫刻だけでなく、陶芸や舞台芸術など多様な領域で作品を手掛けました。《ゲルニカ》(1937)に象徴されるように、社会的・政治的メッセージを込めた作品も多く、芸術家の社会的役割を確立しました。
ポール・スミス
ポール・スミス(1946-)はイギリス・ノッティンガム出身のデザイナーです。10代後半まで熱心なサイクリストでしたが交通事故により競技生活を断念し、デザイン、音楽、ファッションの道を歩み始めました。豊かな色彩感覚と伝統的クラフツマンシップに独自のモダンな解釈を加えるスタイルで知られ、1970年に故郷で開いた小さなショップから始まったブランドの精神を今も体現しています。「ひねりのあるクラシック」という哲学は創作の核となり、この世界巡回展の基となった2023年の大規模なピカソ回顧展でもアート・ディレクションを担い、20万人以上の来場者を記録しました。
見どころ
1. 純度100%のピカソ展!世界有数のコレクションが18年ぶり来日
世界で特に優れたピカソ・コレクションを持つパリ国立ピカソ美術館の所蔵品が来日します。ピカソの初期を代表する「青の時代」の《男の肖像》から《アルルカンに扮したパウロ》など、作品約80点を緩やかな時系列に従って展観します。
2. ポール・スミスがアート・ディレクター!カラフルでポップな遊び心あふれる会場演出
英国を代表するファッション・デザイナーのポール・スミスがピカソ作品からインスピレーションを得て、各セクションごとに全く異なるコンセプトで会場を作り上げます。その空間は時を経た二人のアーティストの出会いによる楽しい驚きに満ちています。
3. 上海、東京、オークランド(ニュージーランド)、ソウルを巡回する世界規模の今までにないピカソ体験
本展は2023年にピカソ没後50周年を記念してパリ国立ピカソ美術館で開催された特別展「Picasso Celebration: The Collection in a New Light!」が基になった国際巡回展です。東京の国立新美術館が日本唯一の開催会場です。
展覧会の構成
00:トロンプ・レスプリ(精神を欺くもの)
《牡牛の頭部》は自転車のサドルとハンドルという既製品を組み合わせ、牛の頭部を形づくった作品です。これが牛の頭部なのか、あるいはサドルとハンドルなのか、鑑賞者の心に混乱を呼び起こします。ポール・スミスは青年期にはプロの自転車選手を目指していたほど、自転車を愛好しています。ピカソの本作に着想を得たスミスは、幾つもの自転車のサドルを用いて部屋のレイアウトを考案しました。
01:『ヴォーグ(流行)』中の芸術家
ピカソは子供のころから雑誌や漫画を愛読していました。その後は書物に絵をじかに描き込むようになり、バルザックやフロベールの小説のページに人物像をスケッチするようになります。こうした書物への描き込みは、1951年の雑誌『ヴォーグ・パリ』でも行われました。ピカソはウェディングドレスを纏う女性の写真の上にいくつか線を加え、その姿を不条理かつグロテスクなものへと変えました。
02:青の憂鬱
1901年から1904年にかけて、ピカソは青を基調とした絵画を数多く制作しました。「青の時代」と呼ばれるこの時代は、親友カサへマスの死を契機に始まりました。彼は社会の最貧困層を深い青で描き、孤独や憂鬱を表現しました。貧しい生活のなかで夜間にランプの下で制作された作品は、やがて憂鬱な雰囲気を醸し出す独自の様式へと深化していきました。
03:バラ色の女性たち《アヴィニョンの娘たち》への前奏曲
1906年から1908年にかけて、ピカソは形態と空間の簡素化を追求し、キュビスムの基盤を築きました。彼はイベリア美術やアフリカ美術に着想を得て、バラ色を基調とした幾何学的で荒々しい新たな造形言語を模索しました。膨大な習作を経て完成した《アヴィニョンの娘たち》(1907年)において、鑑賞者を圧倒するような暴力的なまでの視覚的革新を成し遂げました。ここではその習作を中心に紹介します。
04:キュビスムの実験室
1906年頃からピカソは、イベリア美術やアフリカ美術から影響を受けつつ、対象を立方体のように単純化するキュビスムという新たな表現に取り組みます。ピカソは最初、テーブル、グラス、新聞、楽器などの日用品を主題としました。限られた色彩で抽象的に描かれた画面は主題の識別が難しいときもありますが、モノや装飾、あるいは身体など、必ず手がかりとなる細部が取り込まれています。
05:アッサンブラージュとコラージュ
ピカソは日用品を実践に組み込み、芸術は忠実に現実を再現するものだという規範に対抗します。木や大理石などに似た壁紙をカンヴァスに貼り付け(コラージュ)、現実の断片を直接作品に取り込んだのです。このアイデアは二次元にとどまらず、三次元の表現にも及びました。スプーンや自転車のサドルなどの日用品で作られた作品がアッサンブラージュです。
06:古典主義の画家
1910年代末から1920年代初頭にかけて、「秩序への回帰」という具象表現や古典的主题を復活させる風潮が芸術界に起こりました。こうした中で、1920年代にピカソはきわめて古典主義的な方法で、人物像を油彩とデッサンに描いています。妻でロシアのダンサーであったオルガ・コクローヴァや、息子パウロといった新しい家族がモデルに選ばれました。
07:子ども時代
ピカソはスペインでの幼少期に親しんだ闘牛やフラメンコ、パリのキャバレーやサーカスの鑑賞体験を通じて、生涯にわたり舞台芸術に深い関心を持ち続けました。特にアルルカン(道化師)には自身を投影し、多くの作品の主題となりました。オルガ・コクローヴァとの息子パウロがアルルカンに扮した作品や、マリー=テレーズ・ワルテルとの娘マヤを描いた作品などを紹介します。
08:闘牛
ピカソは生涯を通じて闘牛を重要なテーマとし、その力強さに焦点を当て続けました。1930年代には牡牛が馬や闘牛士を襲う激しく悲劇的な瞬間を好んで描き、闘牛場を生と死、あるいは性と死が交錯する象徴的な劇場として表現しました。一方、ヴァロリスに滞在した戦後に制作した軽快な筆致の版画の連作〈ラ・タウロマキア〉では、闘牛の儀式の躍動感や祝祭性を巧みに捉えています。
09:ストライプ
1930年代にピカソはストライプ模様を実験的に用いて、愛する女性たちの肖像を描きました。柔らかな曲線とパステル調の色彩で描かれたマリー=テレーズ・ワルテルは官能性と安らぎを象徴し、鋭角的な形と暖色で描かれたドラ・マールは強い存在感を示していました。しかし、スペイン内戦やファシズムの影が忍び寄ると、連作〈泣く女〉に代表されるように、戦争の苦しみや絶望を投影した哀愁的な表現へと変容します。
10:戦時中
ピカソはスペイン内戦から第二次世界大戦にかけて、ファシズムや抑圧への抵抗を続けました。大作《ゲルニカ》(1937)は蛮行に対する告発の象徴です。ナチス占領下のパリで、不安と窮乏の中で、彼は「死」や「飢え」を暗示する作品を制作しました。肖像画では人体が歪められ、生者と死者が混ざり合うような非人間性を強調し、静物画では動物の死骸や頭蓋骨を暗い色調で描き人間の虚しさを表現しました。
11:一点もの
ピカソは1940年代後半、南仏のヴァロリスに定住し、陶芸に没頭しました。主にマドゥラ工房で制作された数千点に及ぶ作品は、水差しや皿に、女神、鳥、動物、闘牛士のモティーフを、ユーモア溢れる方法で施しました。熟練の職人と協力した、絵画、彫刻、工芸の境界を曖昧にした陶芸の実験は、晩年の芸術活動において喜びと生命力に満ちた中心的な役割を果たしました。
12:《草上の昼食》
1950年代、ピカソは西洋美術の巨匠エドゥアール・マネの絵画《草上の昼食》(1863)の再解釈に取り組みました。27点の絵画や約140点のデッサンを含むこの連作において、彼は古典的な構図を解体し、人物の配置やポーズを大胆に変容し、絵画の平面性と装飾性を追求しました。この探求は三次元へと広がり、厚紙の模型をコンクリートで巨大化させた彫刻作品へと結実します。
13:ピカソのボーダーシャツ
メディアで彼のイメージが本格的に固まったのは報道写真が興隆をきわめ、テレビが登場した第二次世界大戦後のことでした。すなわち白髪の薄い頭でボーダーシャツを着た男性、というイメージです。このイメージを決定的なものとした写真家ロベール・ドアノーによるポートレートは、ピカソが南仏のカンヌやヴァロリスで陶芸に熱中していたころに撮影されました。
14:晩年:1969—1972
ピカソは1961年以後、南仏ムージャンで過ごし、ここでも精力的に絵画や版画の制作を続けました。最晩年の並外れた創造性と生産性は大きな特徴です。このころ彼は、以前よりも筆の動きが自由になり、人物像を好んで主題に取り上げました。晩年の作品でも衰えを見せない技量を見せつけ、これらの絵画は新世代の画家たちにも大きな影響を与えました。
15:展覧会のピカソ
ピカソのキャリアにおいて、数々の展覧会は彼の名声を世界的なものにする重要な役割を果たしました。1901年のパリでの初個展から、晩年の1970年のアヴィニョンでの大規模な個展に至るまで、展覧会ポスターは街中に掲げられることで芸術活動を大衆へ開放する役割を担いました。「ポスターの積層」に着想を得たスミスは、ピカソの膨大なエネルギーを象徴する展示空間を創出しました。
主催 国立新美術館、パリ国立ピカソ美術館、日本経済新聞社、TBS、TBSグロウディア、テレビ東京
協賛 アビームコンサルティング、DNP大日本印刷
後援 在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ、J-WAVE(81.3FM)、TBSラジオ
国立新美術館DATA
| 住所 | 東京都港区六本木7-22-2 |
| TEL | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
| WEB | http://www.nact.jp |
| 開館時間*1 | 10:00 ~ 18:00 ※企画展のみ金・土曜日は20:00まで ※入場は閉館の30分前まで |
| 休み*2 | 火(祝日は開館、翌平日閉館) |
| ジャンル*3 | |
| 入場料*4 | 入館無料。観覧料は展覧会により異なります |
| アクセス*5 | 東京メトロ千代田線 乃木坂駅 青山霊園方面改札6出口(美術館直結) 東京メトロ日比谷線 六本木駅 4a出口より徒歩約5分 都営地下鉄大江戸線 六本木駅 7出口より徒歩約4分 |
| *1 展覧会・イベント最終日は早く終了する場合あり *2 このほかに年末年始・臨時休業あり *3 空欄はオールジャンル *4 イベントにより異なることがあります。高齢者、幼年者、団体割引は要確認 *5 表示時間はあくまでも目安です | |
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