全国のギャラリー、美術館 、劇場紹介と展覧会・イベント情報など発信中。ご招待券プレゼントもご用意!
アートが、より多くの方々の目に触れることで、戦争のない幸せな世界に近づくための助けになると願い、地道に日々、ご紹介していきます。

W'UP★7月18日~10月4日 フォンタネージ-イタリアの光・心の風景 京都国立近代美術館(京都市左京区)

W'UP★7月18日~10月4日 フォンタネージ-イタリアの光・心の風景 京都国立近代美術館(京都市左京区)

日本イタリア国交樹立160周年記念/フォンタネージ来日150周年記念
フォンタネージ-イタリアの光・心の風景

会 期 2026年7月18日(土)~10月4日(日)
会 場 京都国立近代美術館(京都市左京区岡崎円勝寺町)
開館時間 10:00~18:00、金曜日は20:00まで開館(入館は閉館の30分前まで)
休館日 月曜日(ただし7月20日(月・祝)、9月21日(月・祝)は開館)、7月21日(火)、9月24日(木)
入館料 一般 2,000円(1,700円)、大学生 1,300円(1,100円)、高校生以下・18歳未満無料
※心身に障がいのある方とその付添者1名、ひとり親家庭の世帯員の方は無料(入館の際に学生証、年齢の確認ができるもの、障害者手帳等をご提示ください)
※( )内は前売料金
※本料金でコレクション展もご覧いただけます。
ホームページ https://www.momak.go.jp/

 あなたはアントニオ・フォンタネージという画家を知っていますか。全く知らないという人もいるでしょう。美術に関心のある方ならば「明治時代に西洋絵画を教えたお雇い外国人」と答えるかもしれません。また洋画に詳しい方ならば浅井忠や小山正太郎の先生としての姿や、高橋由一との交友を思い浮かべるかもしれません。こうした反応が示すのは、第一にフォンタネージの名前が十分に知られていないということ。そして知っている人にとっても、お雇い外国人としてのイメージが強いということです。
 英雄ガリバルディの下でイタリア独立戦争に身を投じた兵士。ジュネーヴの都市風景を巧みに表した石版画家。パリのサロンに作品を発表し、当地でミレーやコローを研究するモダンな画家。ロンドンに滞在して版画を制作しつつ、ターナーやコンスタブルを吸収する旅人。フィレンツェの若手画家たちに信頼されるベテラン。南仏の田舎道を友人と歩く風景画家。トリノでも東京でも教え子から慕われる教育者。これらはすべて、「アントニオ・フォンタネージ」というひとりの人間の側面です。何度も同じ主題を取り上げつつ、理想の風景を絵画にしようとする姿勢、都市の忙しさや農村の労働に対する真摯な眼差し、そして何よりも、光と自然に対する貪欲な関心-作品に目を凝らせば、「モティーフを高らかに歌わせよ!(La faccia cantar alto il suo motivo!)」と弟子たちに説いたフォンタネージの姿が見えてきます。フォンタネージを全く知らない人にとってはもちろん、名前を聞いたことがある人にとっても新しい。そんな風景画の旅が、いま、幕を開けます。
 本展の見どころは、以下の3点です。1点目は、イタリア近代風景画の巨匠フォンタネージの日本初の大回顧展であることです。初期から晩年に至るまでの油彩画や、スイスや英国に滞在して制作した版画などを含む約200点により、お雇い外国人に留まらないフォンタネージの魅力が明らかになります。2点目は、フォンタネージ来日から150年を経て、師と弟子たちの作品が集結することです。イタリアから来日する作品群に加え、国内の美術館・博物館所蔵のフォンタネージ作品、浅井忠、小山正太郎ら弟子たちの作品も一堂に会する貴重な機会です。3点目は、20世紀イタリアの芸術家たちにも影響を与えたフォンタネージの先進性を検証することです。カルロ・カッラやフェリーチェ・カゾラーティなど、後世の画家たちへのフォンタネージの遺産を検証する意欲的な企画です。

展覧会の構成は、以下の8章からなります。
第1章「絵画」としての風景(1850-1860年)
第2章 心をうつす風景(1855-1875年)
第3章 都市の風景(1854-1880年)
第4章 日々の仕事と自然(1860-1875年)
第5章 一瞬の光を描いて(1867-1880年)
第6章 日本での制作と教育(1876-1878年)
第7章 晩年の作品(1878-1881年)
第8章 フォンタネージの遺産(1872-1928年)です。

アントニオ・フォンタネージ
1818年、イタリア北部レッジョ・エミリアに生まれ、当地の美術学校に学ぶ
1848年、第1次イタリア独立戦争に志願兵として身を投じ、除隊後スイスに逃避
ジュネーヴを拠点に活動すると同時にパリ訪問や南仏での制作も行う
1859年、第2次イタリア独立戦争に従軍、同年ジュネーヴに戻る
パリのサロンへの出品やロンドン、フィレンツェへの滞在ののちジュネーヴのアトリエを引き払い、1868年にルッカの美術アカデミーの校長兼教授、翌1869年にトリノのアルベルティーナ美術アカデミーの風景画教授に就任
1876年に来日するものの体調の悪化などを理由に2年で帰国
1879年にアルベルティーナ美術アカデミーに復職し、以降後進を指導する傍ら、トリノを拠点に制作を続ける
1882年、トリノにて没、享年64

主 催 京都国立近代美術館、トリノ市立近現代美術館、トリノ博物館財団、京都新聞
後 援 イタリア大使館
特別協力 イタリア外務・国際協力省 成長・輸出促進総局、イタリア文化会館-大阪
助 成 トリノ商工会議所

本記事は各施設配布のプレスリリースおよび提供情報をもとに作成しています。

情報掲載について

当サイトへの掲載は一切無料です。こちらからご登録できます。https://tokyo-live-exhibits.com/about_information_post/

コメント

*
*
* (公開されません)