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W'UP★4月26日~7月6日 マチノカタチ -盛岡城下町の都市プラン-/~7月14日 テーマ展「甘味 -もりおか・お菓子の記憶-」 もりおか歴史文化館(岩手県盛岡市)

W'UP★4月26日~7月6日 マチノカタチ -盛岡城下町の都市プラン-/~7月14日 テーマ展「甘味 -もりおか・お菓子の記憶-」 もりおか歴史文化館(岩手県盛岡市)

マチノカタチ -盛岡城下町の都市プラン-
会 期 2025年4月26日(土)~7月6日(日)
会 場 もりおか歴史文化館(岩手県盛岡市内丸1-50)
開館時間 9:00~19:00(入場受付は18:30まで)
休館日 5月20日(火)、6月17日(火)
入場料 一般300円、高校生200円、小・中学生100円、団体(20人以上)は各2割引 ※2階歴史常設展示室にもご入場いただけます
ホームページ https://www.morireki.jp
お問合せ もりおか歴史文化館 TEL 019-681-2100
主 催 もりおか歴史文化館活性化グループ

「聖寿寺図」江戸時代後期:盛岡城下の北山にある南部家の菩提寺・聖寿寺の境内図
「聖寿寺図」江戸時代後期:盛岡城下の北山にある南部家の菩提寺・聖寿寺の境内図

盛岡城下町の形状
 文禄~慶長年間、それまで三戸城(青森県三戸郡)を拠点としていた南部信直は、豊臣秀吉の許可を受けた上で、岩手郡不来方(こずかた)の地に盛岡城を築くとともに、城郭を中心とした城下町の建設に乗り出しました。
 ここでは江戸時代に描かれた城下図を中心に、道・川・橋といった交通網、堀・門・升形といった防衛設備などに注目し、どのような意図をもって盛岡城下が作られていったのか見ていきます。

主な展示資料
「伝寛永盛岡城下図」正保年間(1644~1648)
「慶応盛岡城下図」慶応元年(1865)
「盛岡砂子」天保4年(1833)
「盛岡城下古絵図」江戸時代後期/川井鶴亭
「増補行程記」寛延4年(1751)/清水秋全

盛岡城下町の構成
 藩の施設(屋敷・役所・訓練所)、武士の町(侍町・足軽組丁)、町人の町(商人町・職人町)、信仰の場(寺院・神社)など、町のどこに、どのような建物を配置するか、どのような人々を住まわせるのかといった、盛岡城下町の内部構成を見ていきます。

主な展示資料
「下小路屋敷分間図」慶応2年(1866)
「明義堂図」文久元年(1861)
「北監物屋敷図」文化3年(1806)
「邦内郷村志」江戸時代後期
「聖寿寺図」江戸時代後期

関連イベント
1. 散策イベント「ぶらり盛岡城下町 -外堀跡を辿ってみよう-」
内容 盛岡城下町を実際に歩きながら、「マチノカタチ」を体感しましょう。今回は外堀を境とする外曲輪(内丸)と遠曲輪との関係性を中心に辿ります。
日時 2025年5月24日(土)10:00~12:00
会場 盛岡市街地(もりおか歴史文化館前集合・受付)
定員 15名 ※事前申し込み制(往復はがきまたは応募フォーム)
締切 2025年5月2日(金)必着
参加費 50円

2. れきぶん講座「『盛岡砂子』にみる「内丸」地域」
内容 江戸時代後期の地誌『盛岡砂子』を丁寧に読み解くことで、盛岡城下町の実態を探ります。今回は特に「内丸」地域に焦点を当てます。
講師 企画展担当学芸員
日時 2025年6月28日(土)13:30~15:30
会場 当館1階研修室
定員 30名 ※事前申し込み制(往復はがきまたは応募フォーム)
締切 2025年6月2日(月)必着
参加費 無料

3. ギャラリートーク
内容 企画展担当学芸員による展示資料解説
日時 2025年5月3日(土)13:30~14:30、2025年6月10日(火)13:30~14:30
会場 当館2階企画展示室

展覧会ポスター

テーマ展「甘味 -もりおか・お菓子の記憶-」
会 期 2025年4月12日(土)~7月14日(月)
会 場 もりおか歴史文化館(岩手県盛岡市内丸1-50)
開館時間 9:00~17:00
休館日 毎月第3火曜日(祝・休日の場合は翌日)
入場料 一般300円、高校生200円、小・中学生100円 ※団体(20人以上)は各2割引
 ・ 盛岡市内在住で65歳以上の方、小・中学生のうち盛岡市在住・就学の方は無料
 ・ 障がいをお持ちの方やその介護をなさる方(障がい者1人につき1人まで)は無料
ホームページ https://www.morireki.jp
お問合せ 019-681-2100

 口の中に広がる甘い味わい・・・、というと何を思い浮かべますか?
現代はさまざまな甘いお菓子があふれ、幾度も「スイーツブーム」が起こっていますが、そもそも日本における甘味の始まりは何だったのでしょう。
 本展では当館収蔵資料から「甘味」に関するものに焦点を当て、盛岡における「甘味」の歴史を紐解いていきます。江戸時代に盛岡藩主南部家とその家臣たちはどのような菓子を食べていたのか。江戸時代以降、盛岡にはどのような菓子があったのか。実際はどのような色や形、味わいだったのかを想像しながら、この展示をとおして「甘味を食べたい」と思っていただければ幸いです。

「かし(果子/菓子)」のはじまりは?
 古代の日本では果実や木の実のことを総称して「くだもの」と呼んでおり、中国から漢字が伝来すると、これに「果子」あるいは「菓子」の字があてられるようになったといわれています。
 展示の前半では盛岡藩内の植物の種子や果実について記された資料をご紹介しています。

「産物書上留帳」享保20年(1735)
「産物書上留帳」享保20年(1735) 江戸幕府に尋ねられた盛岡藩内の産物についてまとめたものの控え。11冊から成り、5冊目の「菓部」には通(※盛岡藩の行政区分)ごとの植物の種子や果実について記されており、展開ページの「梨子」の下にある名前は品種名と思われます。


江戸時代、殿様はどんなお菓子を食べていた?
 盛岡藩主・南部家はいつ、どこで、どのようなお菓子を食べていたのでしょう。
 今回は藩主に就任した時にお祝いの席で出されたお菓子の記録、また藩主自身が描いたと伝わる「菓子図」を展示しています。
 「松風」「宇治橋」「ようかん」「ういろう」「まんじゅう」「くさあんもち」など、描かれた様々な菓子の側にその名が記されています。茶会の際に出そうと考えた菓子か、それとも自身の好物か・・・。いつ、どのような時に描かれたものなのか想像力が掻き立てられる資料です。

伝南部利敬書画「菓子図」 江戸時代後期
伝南部利敬書画「菓子図」 江戸時代後期 
上記の画像は11代盛岡藩主 南部利敬が描いたと伝わる画。
「松風」「宇治橋」「ようかん」「ういろう」「まんじゅう」「くさあんもち」など、描かれた様々な菓子の側にその名が記されています。茶会の際に出そうと考えた菓子か、それとも自身の好物か・・・。いつ、どのような時に描かれたものなのか想像力が掻き立てられる資料です。

大正時代の盛岡スイーツ
江戸時代以降も、明治・大正時代に南部家に仕えた人々によって書かれた日誌が残されています。贈答品に関する記録も詳細に残されており、「黄精飴」「片栗落雁」「豆銀糖」「ブドウ飴」「一山饅頭」「家福餅」「花饅頭」など現在も盛岡で食べられている菓子名が多数確認できます。

「雑書」大正14年(1925):盛岡市の南部家別邸に勤めていた人々によって記されたもの
「雑書」大正14年(1925):盛岡市の南部家別邸に勤めていた人々によって記されたもの

美しい菓子木型の世界
落雁に代表される干菓子や練り切りなどの生菓子を作る際に用いられる道具のひとつである菓子木型。
木型に彫られた模様は鶴亀や松竹梅などの吉祥模様をはじめ、四季の草花、文字、家紋など多種多様です。これらの木型からどのような色彩の、味わいの菓子が生まれたのでしょうか。

菓子木型
菓子木型


もりおか歴史文化館
 もりおか歴史文化館は、盛岡城跡公園の一角にある町なかミュージアムです。1階は無料で、盛岡を代表する祭りや旬の観光情報を紹介しています。2階展示室(有料)では盛岡藩の歴史や藩主南部家に関わる資料を展示しています。
指定管理者 もりおか歴史文化館活性化グループ(株式会社乃村工藝社、公益財団法人盛岡観光コンベンション協会)

情報掲載について

当サイトへの掲載は一切無料です。こちらからご登録できます。https://tokyo-live-exhibits.com/about_information_post/

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