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W'UP★5月14日~6月15日 「創造と破壊の閃光」展 GYRE GALLERY(渋谷区神宮前)

W'UP★5月14日~6月15日 「創造と破壊の閃光」展 GYRE GALLERY(渋谷区神宮前)

「創造と破壊の閃光」展
会 期 2025年5月14日(水)~6月15日(日)
会 場 GYRE GALLERY(東京都渋谷区神宮前5-10-1 GYRE 3F)
開館時間 11:00~20:00
休館日 会期中無休
入場料 無料
ホームページ https://gyre-omotesando.com/artandgallery/flashes-of-creation-and-destruction/

 草間彌生は、人格と行動が芸術と一体化しているといえるほど、芸術に人生を捧げてきました。57年に渡米した草間は、展示空間全体を体感させる巨大作品を次々発表し、過激な反戦運動やパフォーマンスを繰り広げることで、マスメディアがベトナム戦争の恐怖を連日報道するアメリカ社会に対して、平和と愛の強烈なメッセージを表現し続けました。絵画、彫刻、デザイン、ファッション、パフォーマンス、映画、小説など様々な分野で活躍し、ヴェネツィア・ビエンナーレや横浜トリエンナーレなど国際美術展で日本代表を務め、紺綬褒章、フランス芸術文化勲章オフィシエなど名誉ある受章を重ねた現在も人間存在の本質的な主題に取り組み、生命の謳歌を世界に向けて発信し続けています。
 本展の草間彌生と対話相手となる作家は、戦争経験をした草間と戦後高度経済成長による大量消費社会であった時代精神を共有した三島喜美代、そして光と闇、生と死、自己消滅の草間の世界観と「自身の負の記憶と人間の闇を混淆した美」が交錯する谷原菜摘子の世界観、そして種苗業を営む旧家に生まれた草間の自然観と通底する坂上チユキの太古の楔形文字のような無数のかたちがひとつの宇宙を形成する作品との対話によって展覧会構成されることとなります。本展では、草間へのオマージュとなったフェリックス・ガタリの次の言葉を次世代のアーティストへ向けたメッセージとして刻印していきます。「草間彌生は我々の世界に再び夢を与える。“ビートジェネレーション”の創造的/破壊的年月の閃光のごとく — しかし何という代償を払って!— 通り抜けたこの女性は、我々の眼前で、最も予測不能な未来の感性を創出する偉大な現代アーティストとして再生する」と述べています。

出展作家
草間彌生(1929~)
三島喜美代(1932~2024)
坂上チユキ(1961~2017)
谷原菜摘子(1989~)

三島喜美代
 三島は、1950年代より独立美術協会に属し、静物画を描き始めました。それが抽象画へ、そして新聞記事や雑誌広告などをコラージュしたり、シルクスクリーンを使ったりするミクストメディアの絵画へ発展していきました。喜美代の夫、三島茂司は、戦前は伊藤継郎、その後は吉原治良に師事した抽象画家でしたが、共に実験的な制作に取り組み、喜美代に大きな影響を与えました。
自分のアイディアを発展させるために最適な技法を常に模索していた三島が、絵画から立体作品に向かうのは必然でした。1970年前後、三島は様々な素材を試した後、陶による立体を作りはじめました。きっかけは、コラージュに使用した丸めた新聞紙が、アトリエの床に転がっていたことです。毎日ゴミとして捨てられる大量の新聞、これが堅固な素材で彫刻として作られたとしたらどうだろう。そう三島は夢想し、陶で新聞の彫刻を作りました。陶は硬くてもろい。当時の日本は、大量の雑誌や新聞が出版され、情報化社会の到来と言われました。毎日消費される大量の情報、それが三島は恐かった。この恐怖を、落とせば壊れる、しかし、壊れなければ永劫に存在する陶という素材に託しました。その後、三島は新聞雑誌のみならず、日常的に捨てられるゴミ—コーラ等清涼飲料水の缶、食料品の段ボール箱など—も次々と陶の立体に変えていきました。そればかりか、それらのスケールも変え、5mにも及ぶゴミ箱、人間の背丈もある新聞などを制作。消費財を異様なスケールに拡大することで、飽くなき消費社会への警鐘を鳴らしました。

坂上チユキ
 坂上は、数奇な運命を綴った自叙伝で、「5億9000万年前プレカンブリア紀の海に生を受けた」と自らの誕生について述べています。青は太古の海と空の記憶に繋がる特別な色です。坂上はその記憶を基に、極細の青い線を縦横無尽に走らせ、古代生物や神話的動物が出てくる寓話や、古今東西の文学や音楽、そして愛する鳥たちを登場させながら、豊穣な作品世界を紡ぎ出しました。ほとんどの作品は、卓上に載るほどの大きさのアルシュ紙に水彩や岩彩を用いて描かれ、ときには細かく砕いた鉱物を表面に定着させることで、きらきらした不思議な絵肌をつくりました。その短い生涯のなかで、毎日絵を描き、音楽と鳥を愛し、自ら胡弓を奏でました。

谷原菜摘子
 谷原の絵は、日本近代絵画史の「くらい絵」の系譜を受け継いでいます。京都市立芸術大学美術研究科博士課程修了時の博士論文「暗さの底にある光脈 ―デロリを起点とした暗い絵の考察―」で、人間が持つ業や欲望、生々しい卑俗さを描いた日本近代美術史に登場する一連の作品について検証しました。岸田劉生が『初期肉筆浮世絵』のなかで、岩佐又兵衛の作品について描写したときに使った「デロリ」を、それらの絵共通な性質を表す言葉としました。異様で淫靡、そして生々しい初期肉筆浮世絵や、陰鬱で絢爛な女性を描く甲斐庄楠音や岡本神草、中世に描かれた《地獄草紙》、《餓鬼草紙》などに深い共感を示し、自分が描く絵もそれに連なる「くらい絵」であると位置づけています。
 実際、自身の作品では、生い立ちの暗部を繰り返し主題にしているのに加え、様々な物語—下等生物たちに逆襲される人間たちや、理不尽で暴力的な制裁を受ける人々、この世の終末に登場する天使に殺戮される女性達—などが、執拗に微細な筆致で描き込まれます。幻想譚が次々と展開される谷原の作品は、実際彼女が見た夢を基にした(谷原は夢日記をつけている)絵もあるのですが、今も変わらない人間の業を現代の絵巻物にしているようにも見えます。谷原は通常のカンヴァスではなくベルベットの布地に油彩を描くという手法をとります。絵の背景のベルベットは、光をも吸い込む漆黒の闇として、谷原の幽鬼の世界を支える重要な役割を果たしています。

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