W'UP!★3月8日~4月6日 Shohei Takasaki 「Couch on the Hill (the tower will fall in two weeks)」 Gallery COMMON(渋谷区神宮前)

2025. Oil, oil stick, acrylic, spray paint and charcoal on canvas.
1620 × 1320 × 25 mm. Courtesy of Gallery Common.
Shohei Takasaki 「Couch on the Hill (the tower will fall in two weeks)」
会 場 Gallery Common(東京都渋谷区神宮前5-39-6 B1F)
開催日 2025年3月8日(土)~4月6日(日)
開廊時間 12:00~19:00(水~日)
休廊日 月、火および展覧会のない日は休館
入場料 無料
公式サイト http://www.gallerycommon.com/
- Shohei Takasaki. Untitled (Jan 21 2025). 2025. Oil, acrylic, spray paint and charcoal on canvas. 1620 × 1305 x 25 mm. Courtesy of Gallery Common.
- Shohei Takasaki. Untitled (Dec 16 2024 A). 2024. Oil, oil stick, acrylic, spray paint and charcoal on canvas. 1620 × 1305 x 25 mm. Courtesy of Gallery Common.
- Shohei Takasaki. Untitled (Nov 4 2024). 2024. Oil and acrylic on canvas. 805 × 1165 x 25 mm. Courtesy of Gallery Common.
- Shohei Takasaki. Untitled (February 7 2025) . 2025. Oil and charcoal on canvas. 352 × 281 × 24 mm. Courtesy of Gallery Common.
Gallery Common では、3月8日から4月6日まで、アーティスト Shohei Takasakiによる個展「Couch on the Hill (the tower will fall in two weeks)」を開催いたします。当ギャラリーでは2022年以来、三度目の個展となります。
現在シドニーを拠点とするアーティストShohei Takasakiは、異なる文化圏における生活体験を背景に、さまざまな時代や地域に由来するイメージを抽出し組み合わせるコラージュ的な技法を用いながら、常に視覚(ヴィジュアル)を優先する姿勢を取り続けてきました。フォーヴやキュビズムなど広汎な美術史を参照しつつも、特定の立場や一義的な物語からは距離を取るアプローチは、あたかもファッションが自己表象とその隠蔽を同時に行いながら更新されるように、常に解釈のゆらぎの上で流動的に変化し続ける視覚の特質を際立たせています。
「Couch on the Hill (the tower will fall in two weeks) (丘の上のソファー : 塔は2週間で陥落する)」と題した本展では、自身が幼少期から親しんだRPG(ロールプレーイングゲーム)の世界観ーー成長や冒険のサイクルを想起させる仮想空間ーーを背景に、美術史上に知られた静物画のモチーフから無作為にサンプリングされ引用されています。「丘の上のソファー」が強調するのは、家やアトリエなど絵画制作におけるドメスティック空間であり、それがゲーム世界において設定された場(ステージ)に呼応させることで、周囲のオブジェや人物像と独創的なネットワークが構想されていきます。新作《Untitled (February 24 2025)》(2025年)を始め2021年にはじまるこの絵画世界においては、ヴァニタスを思わせる髑髏やカラヴァッジオ、セザンヌの名画に現れるモチーフなど、記号性が高められた舞台としての絵画空間と、RPGが措定する世界のフィールドが重なり合い、現代画家としての自らの位置づけを再考しているかのようです。
《Untitled (Nov 4 2024)》(2024年)などの作品では、抽象画にみられる構成的要素と、具象的な都市風景の断片が交差しています。特徴的な色彩のうえに衝突するモチーフの視覚的な動きが、静的なマテリアルとしての絵画と動的なイメージとの往還を際立たせています。作家自身が「ヴィジュアルそのもので満足できることがペインティングの最も重要な要素」と語るように、この視覚的要素を主体に据える手法は、鑑賞者の想像力を無限に拡張する余地を残しつつ、画面に多層的な張力をもたらしています。
また、絵画には、暴力と性という根源的なテーマを扱い続けてきた長い歴史があります。宗教画において聖なる権威のもとに潜む残酷さや情欲が繰り返し描かれてきたように、人間の内的衝動は、古今東西の絵画に着想を与えてきた重要なモチーフです。本展の出展作でも、ゲーム世界における暴力性やせめぎ合う欲動の気配が浮かび上がり、現代社会で繰り返される哀楽や悲劇を想起させることで独特の緊張感を生み出していますが、こうした言及が直接的なモチーフとして表出することはありません。激しいストロークや色彩のコンポジションに巧みに潜ませることで、鑑賞者の内面に問いを投げかける形式へと昇華させています。
本展「Couch on the Hill (the tower will fall in two weeks)」では、Takasakiが培ってきた内省性と開放性が交錯するビジュアル・プラクティスが、一層研ぎ澄まさて現れています。ドメスティックな空間やゲーム的思考の断片、そして暴力や性のテーマに潜む人間の根源的衝動へのまなざしが、変わりゆく世界への洞察となり、ある表象を提示しつつも別の表象を流動的に覆いかぶせることで、現代社会が孕む矛盾を内包しながら絶えず新たな視覚を生成しているのです。
文:大坂紘一郎
作家から本展に寄せて
「スティル・ライフ・ペインティング(静止画)」、これはドメスティック(家庭内、室内)をリプレゼントします。室内で、自分でコントロールすることができて、孤独で、静かな時間が流れていて、対象は動かない、そして太陽光はありません。それが僕の考えるスティル・ライフ・ペインティングです。
「RPGビデオ・ゲーム」、これはあらかじめ決められた物語で、必ず辿り着ける同じエンディングが決まっていて、正義・悪・その他という概念が存在していて、終わりのない暴力がなくてはならなくて、他者を倒す(殺す)事によって、愛や平和を勝ち取るための物語です。「愛」や「平和」、「快感」などのための「暴力」や「血」が存在します。
物語の中で、いくつかの分かれ道やエンディングなどがあるとしても、マンメイドで作られたものという性質上、「何かをしたら、何かが起こる」や「何かをしなければ、何かが起こらない」といったように、「1」+「1」は必ず「2」になることが決められているので、何が未来に起こるかを事前に予想することができるし、何よりも、このゲーム・プレイングそのものの経験を他人とシェアすることが出来ます。これが僕の考えるRPGビデオ・ゲームの定義です。
アーティストとして主にペインティングを作ること、ビデオ・ゲームをプレイすること、これらが僕の人生の時間の大半です。そして、この2つの経験は、僕の中では対極にあって、どちらかのことをしている時にどちらかのことを意識したり、考えることがよくあります(対極なもの同士は実は背中合わせ)(これまでにも、自身の作品の中に血や武器など「暴力」を暗示されるようなものが出てくるのは、このためだったのだったと思います)。
「ドメスティック・ライフ」と「ヴァーチャル世界においてのピュア暴力」。
ビデオ・ゲームの中での時に過激な暴力表現は、実際のこの社会では起こり得ない(hopefully)という意味において、理由のない(動物としての)人間の根源的な「欲望」や「快感」を僕に思い起こさせます。
現代人として、この社会の一員として生きていくために、暴力によって他人を傷つけることはできるだけ避けるように僕たちは生活しますが、一体なぜビデオ・ゲームの中で繰り返し起こる暴力がこれだけ中毒性があるのでしょうか。今、このリアルな世界中で毎日起こっている様々な「傷つけ合い」も、ビデオ・ゲーム中の「傷つけ合い」も、両方ともに同じスクリーンを通して僕たちは体験しますが、両者に一体どんな違いがあるのでしょうか。ビデオ・ゲーム内での表現は「現実社会では起こり得ない」という前提のもとに成り立っていますが、例えば今実際に起こっている「戦争」が、自分の今住んでいる場所から遠く離れた場所で起こっているときに、果たしてどこまで自分の日常生活の地続きとしての「現実」のものとして受け止められる?
ニュースキャスターが「事件」や「戦争」を読み上げることはあっても、結局はそれ以外の様々なトピックスの中に埋もれてしまい、全ては無意味なただの「情報」と化してしまうことはないでしょうか。もちろんニュースキャスターとは「僕ら自身」のことです。安全地帯としての「ドメスティック・ライフ」にいさえすれば、どこか遠くで起こっている(かもしれない)事件や戦争などからは、もしくはヴァーチャルな暴力からも距離を置いていることができますが、家庭内、室内、「内」にいればいるほどに、強烈に「外」、社会や他人を意識せざるを得ないこともとても興味深いです。
このドメスティック・ライフとビデオ・ゲームというコンビネーションが、結果的に自分の外側の世界に対しての自身の隠れた「強烈な願望」(まさに血が皮膚から迸る瞬間を思い起こさせます)を表現しているのだと思います。僕は、日々の色々なルーティンに慣れてしまって、こうしていつも、逆説的に物事を見つめ直さないと、それらが自分にとってどういう関係だったのか、どのように大事なことだったのか、をすぐに忘れてしまうのです。
そもそも、僕たちのこの短い人生には「意味」なんてものは無いんですから。
というか、「正義」ってなに?
プロフィール
Shohei Takasakiは1979年、埼玉県生まれ。アメリカのポートランドに7年間住んだ後、2021年にシドニーに拠点を移し現在に至ります。
Takasakiはオイルパステル、木炭、絵の具からファウンドオブジェクトや布地まで、さまざまな画材を用いて大胆な色、線、形でときに認識可能な、ときに抽象化されたモチーフを描きます。人物画や静物画を中心とした近年のTakasakiの作品にはジェンダー、暴力、家庭生活、生と死を連想するイメージが繰り返し登場します。Takasakiが描くモチーフは常にその興味に合わせて変化しますが、近年の作品では頭部や身体の中などに描かれる、炎、短剣、生い茂る植物、格子模様、皿に盛られた食べ物、そして卵や頭蓋骨などが多く見られ、ときに単純な形から完全な抽象へと形を変えていきます。
こうしたイメージやスタイルは、Takasaki自身を取り巻くこの現実の世界への愛と拒絶から生まれています。例えば、オートマティスムからパンクロックまで、Takasakiが過去の芸術運動や現代文化へ向ける深い関心は、すでに元々意味の定められている物事に対する強い懐疑心の裏返しとして捉えることができるでしょう。この既存の世界への好奇心と完全な自由への欲求との間の綱引きが、彼の制作活動を推進しているのです。イメージを歴史や論理の象徴として使用することを敢えて拒否し、自身の実際の生活の中で発生する様々な考察や経験を絵画やドローイング、彫刻に注ぎ込んでいます。このようにしてTakasakiの作品は、歴史的なものや社会的な構築物に対する反逆行為として機能し、視覚的イメージをこれまで疑われることの無かった既存の定義の檻の外に置くことで、直接的かつ自律的に世界を体験するための入り口へとイメージを転換させているのです。
Takasakiの作品は、ロサンゼルス、ポートランド、クウェート、シドニー、メルボルン、香港、台北、北京、東京など各地で展示されており、シアトルのスターバックス本社、ポートランドのThe Hoxton Hotel、大阪のサクラクレパス株式会社のパブリックコレクションにも収蔵されています。また2020年からは、東京現代の現ディレクターである高根枝里との共同プロジェクトとして、インディペンデントインタビューメディア「Destroy Your Habits」を運営しています。
W'UP!★11月18日〜12月26日 Nerhol「REVERBERATION」 THE MASS(渋谷区神宮前)
Gallery COMMON(渋谷区明治神宮前)
住所 | 東京都渋谷区明治神宮前5-39-6 B1F |
TEL | 03-6427-3827 |
WEB | http://www.gallerycommon.com/ |
営業時間*1 | 12:00~19:00 |
休み*2 | 月、火 |
ジャンル*3 | 現代美術 |
アクセス*4 | 表参道駅A1出口より徒歩約6分、明治神宮前駅7番出口より徒歩約8分、渋谷駅B7出口より徒歩約9分、原宿駅東口より徒歩約12分 |
取扱作家 | |
*1 展覧会・イベント最終日は早く終了する場合あり *2 このほかに年末年始・臨時休業あり *3 現代美術は、彫刻、インスタレーション、ミクストメディア作品、オブジェなども含まれます *4 表示時間はあくまでも目安です 【注】ギャラリーは入場無料ですが、イベントにより料金がかかる場合があります |
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