【The Evangelist of Contemporary Art】ピース・トライアングル:2025年から2026年にかけて東南アジアとオーストラリアで開催された3つのビエンナーレ その2 美術評論家 市原研太郎
前回(その1)の続き https://tokyo-live-exhibits.com/blog111/
2.タイランド・ビエンナーレ プーケット 2025: Eternal(ローカルよ、永遠なれ!)
[1]プレリュード: パール(1)の香りはプーケットへとなびく
前回のメコン川流域で行われたタイランド・ビエンナーレもそうだったが、当該地域の問題をしっかり取り上げるのが、2年に1度、場所を変えてタイの地方で開催される本ビエンナーレの長所である。私は、プーケットから海を隔てた対岸のKrabi(クラビ)で行われた2018年の回と、前回のタイ北部、チェンライとチェンセン、それにメコン川流域で行われた2つのタイランド・ビエンナーレを観る機会を得た。その鑑賞は、私を表面的にも少しタイランド通にしてくれた。アート・ツーリズムの功名といったところか。
今回は有名ビーチリゾートのプーケットなので、観光客の多い場所は敬遠したい身としては、本ビエンナーレを回避しようと思ったが、シンガポールから近いのでついでに回ってみる気になった。
初日は、プーケットタウン入りが遅かったので1時間ほど、ホテル裏の同じ名前の元ボーリング場の会場(2)で、前回のメコン川と同様、早速タイランド・ビエンナーレの洗礼を浴びた。
この会場のテーマはエコロジーであるとdocent(案内人、今ビエンナーレにおいて重要な役割を果たしていた)の女性が教えてくれた。自然破壊を視覚化した作品(3、4)は以前数回鑑賞しているアーティストのもの。自然の美しさ、雄大さを湾曲するマルチスクリーンの凸面と凹面で見せつける巨大映像インスタレーション(5、6)は、廃業したボーリング場のだだっ広いスペースにぴたりと収まっていた。
そして、その裏のスペースには地元の漁師が残したパタニ(プーケットから近い)の漁業の歴史を描いたドローイングの展示(7~9)。地元の漁師たちの行う漁法に対して企業の大型の網を用いた漁場を荒らす漁法の説明と、海に注ぎ込む河川による汚染の深刻化。それらが、アートの素人の一漁師がイラストに描き残していた。それが本(10)として出版もされた。
それを聞いただけで、パタニと同様ビエンナーレが行われているプーケットも、単なる地域活性化事業でアート・ツーリズムを誘致し地域が金銭的に潤えばよいという発想とは違うことが理解された。
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[2]プーケット郊外にあるタイランド・ビエンナーレの会場(11、右の地図の青いルート)へと
過去に2回、タイランド・ビエンナーレを観たと述べた。しかし、その2回のうちクラビのビエンナーレは、クラビの雄大なビーチの自然に作品が呑み込まれてしまった。唯一興味深かったのは、渡し船の対岸にあるムスリムの住む村(そこに散在する作品ではなく)の独特の暮らしだった。彼らが渡し船に固執するのは、橋が架けられるとこの暮らしを守るコミュニティが壊されると考えてのことだと耳にした。クラビはマレーシア半島のイスラム教徒が多い地域に隣接する漁師町とリゾート地である。
結局、アートはクラビの風光明媚で雄大な景色に負けていたのだ。前回のタイ北部とメコン川の国境地帯で開かれたビエンナーレは、作品よりメコンの窮状に心痛めるシーンが多かった。そのなかでストレートにメコンを救いたいと願うアーティストのカヌーによる川下りのドキュメンタリー映像が、展覧会では一番輝いていた。
今回のプーケットはどうだろう? まだ回り始めて2日目だが、展覧会は実力あるアーティストが選ばれていて、直前に観たシンガポール・ビエンナーレより面白いかもしれない。これは好みの違いになるが、シンガポールは知的な表現が多く、エリート主義的な傾向が強かったように思う。シンガポールの大衆が鑑賞したら、作品は難解に思われただろう。
対してタイランド・ビエンナーレは、庶民的な表現で分かりやすい。とはいえプーケットの郊外にあるFormer Kathu Liquor Distillery Excise(12)に展示されたヴィデオの1つ(13)は、台湾の植民地時代をゴムのプランテーションから説き起こし、タイのゴム農園と林業に関する歴史的な記録映像のフッテージを生成AIを用いて変形し、晦渋な作品(14、15)に仕上げている。これを理解するには高度な解読格子が必要ではないか? 恐るべし台湾のアーティストと思わせる映像と資料のインスタレーションだった。
それとは反対に、タイのアーティストの制作した映像作品(16、17)は、身体に障害のある女性と神との交流の物語で、タイの民衆に親密さを感じさせる内容だったと思う。障害のあるなしにかかわらず神との繋がりは、タイ人にとって日常生活の根幹をなすものだからである。
同様に、そこから車で5分ほどのKathu Shrine(18)の、神話物語を現代に置き換えて美しいダンス映像にしたのは、中国系アメリカ人アーティストAndrew Thomas Huangのアイデンティティ探しの恋愛ミステリー(19)だが、殺人の悲劇で終わる。とはいえ、生き残った女性は、男性を殺害することでアイデンティティを取り戻したので幸福になった。彼女は美しき鹿として幻想ではなく現実世界に羽ばたく。
もう1つ、中国系のアーティストの代書屋をめぐる映像インスタレーション(20~22)が、密かに現代中国を批判して鮮やかだった。代書の存在は、コミュニケーションが必要な人間たちが引き裂かれていることを条件にする。誰が切断しているのか? この分断を接合することは、コミュニティの維持にとって死活問題である。
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[3]プーケットのオールドタウンから二番目に遠い会場のルート(23、地図のピンクのルート)を回っていたら、大変なことになった!
3日目の会場のルートで、文句なく今ビエンナーレで最高の会場、Poon Phol Building(24)に朝一で辿り着いた。
まず、各階のdocent(監視員ではなく案内役)が素晴らしい。作品も素晴らしいので当然かもしれないが、よく訓練されているのとスマートな人間が多い。全員アートの素人だが、現代アートの核心を突く物言いをする。そればかりか、現代アートの最先端に熟知しているかのような説明は、彼らに渡された来場者との想定問答のシナリオが完備されているからに違いない。それだけ現代アートのエキスパートが、タイのアート界にいるということだろう。
この会場があるだけで、2025年のタイランド・ビエンナーレは、私がプーケットの直前に訪ねたシンガポール・ビエンナーレを凌駕していると言ってもよい。その地上階から最上階まで、現代アートの最先端のエキスが詰まっていた。
まず円筒形のスペースの1階から。エントランスから入って右手に、プーケットのエコロジー問題(プーケットの海から海藻がなくなりジュゴンの姿が消えた。そして1頭のジュゴンが奇跡的に戻ってきた)を取り上げた映像とオブジェ(海藻保護用のかご)とバティックで描かれたアーティスト・デュオ、Zheng Mahlerの理想の海の絵が展示されていた(25~28)。アクティヴィストたち(29)の努力が実って、海藻とジュゴンが昔のように戻ってくることを祈ろう。
同じく1階には、イタリア人女性アーティスト、Rossela Biscotti(30)によるプーケット特産のラテックスを用いたタぺストリーと絨毯(31、32)。その表面の浮き彫りになった花柄模様が美しい。
2階は、Kiteの彫刻作品(33、34)。創造活動するのは、なにも人間(生物)だけではない。非人間(生物)の鉱物も結晶という創造をする。その人間(生物)と非人間(生物)の創造活動のミックスによる交歓の彫刻。Kiteの別の作品(35、36)。今度は、プーケットで採取した小石を並べた儀式的な模様のインスタレーション。
3階は、近年における現代アートの世界への新勢力、アラブのアーティスト、その先駆けHaig Aivazian(37)のアニメ作品(38、39)。
4階に上ると、台湾の映画監督、ツァイ・ミンリャン(40)が、今作のコラボレーションの相手であるAnong Houngheuangsyの故郷のラオスに行くシーン(41)から映像は始まる。その故郷の風景(42、43)がミンリャン節で語られる映像はひたすら美しい。床には2人のドローイング(44)。モチーフは、故郷の風景やクモの巣の張った仏像。2人がコラボしたローカルに阿らない姿勢が彼らの醸す美の源泉だろう。
その奥には、bani haikal(45)のサウンドインスタレーション(46)。ファウンドオブジェの楽器からノイズや女性の語りが流れる。もう1人は、Oliver Laric(47)のメタモルフォーゼの作品(48)。動物からベンチ(あるいはその逆)への変身は、僥倖をもたらすか?
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そして5階へ。この会場の白眉の2作品が控えていた。1つは、タイ人アーティスト、Lek Kiatsirikajorn(49、50)による綿密なリサーチの成果(51~63)。リゾート地プーケットの表向きの華やかさと穏やかさに反して、その裏で現代社会特有の問題を抱えていることが、彼のリサーチから白日の下に晒される。それは地元の漁業に勤しむ漁師とリゾート地に進出している大資本との間の確執である。搾取される漁民たちの不満はなかなか表沙汰にならない。その社会的不平等をプーケットの歴史的遺産である錫鉱山に因んで、砂浜から集めた金属の鋳造の上に地元の漁民のポートレートを焼き付け、彼らの証言と彼らの生活の現場である海岸の風景写真を関連づけてインスタレーションした。この複雑に練り上げられた作品は、2025年の年間最優秀作品に推してもよい。それほど優れている。その隣に、それに負けないくらい素晴らしい作品(64~72)があった。アーティストの出身は、タイの深南部に位置するパタニ(漁労のドローイングを残したあの漁師が住んでいた町)。プーケットから遠くないムスリムが多く住む地域の中心がパタニ。ムスリム出身の女性が受ける差別によってアーティストとしての活動が制限されている。彼女の展示作品は、プーケットの風景の静止画と動画だが、そのキャプションを人目につかない場所に置く配慮をしなければならないと、案内役の男性は私に小声で耳打ちした。
最上階は、Aleksandra Damanovic(73)の世界のリアルタイムの気温を示す電光掲示板の作品(74)。刻々と気温は高くなっている。一刻の猶予もない。
エコロジー問題を取り上げた極めつけの作品(実は、そこから海辺に数分のマングローブ林のなかにあるのだが)を提示することで、今タイランド・ビエンナーレの最高の会場の展評を締めくくりたい。Eiji Sumi(75)の作品(76)それ自体はエコロジーというよりメディア・アートである。しかし、海辺のマングローブの林のなかにそれが配置されることで、自然に親和的な人工の象徴として宇宙から飛来した円盤(UFO)が、地球の自然環境の重要性を光のメッセージとして明滅させている。
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[4]プーケットのオールドタウンの会場へ
本ビエンナーレには、歴史に刻まれる傑作と呼べそうな作品が1つならずあり、すでに2日目の台湾のアーティスト、3日目のタイのアーティストがその候補に挙げられるが、今日4日目にもう1人、Sroot Supasuthivech(77)が加わることに驚きを覚えている。
こんなに素晴らしい作品(78)があるということは、シンガポール・ビエンナーレを凌駕するどころか、本ビエンナーレが年間の最優秀ビエンナーレの栄誉を与えてもよいと思われるほどだ。
しかも今日観たのがタイのアーティストであり、最近興味を持って行くことの多いタイについて、少しは分かった積りになっていた私の無知に平手打ちをくらわすのに十分な内容だった。実際にスモークが焚かれるとともに底しれぬ未知の謎が浮かび上がってきた。どうなっているのだ、一体タイとは?
日常でありながら、物語は驚異の展開を遂げる。海亀(79)が主人公の残酷劇とだけ言っておこう。この作品が見られるオールドタウンの東側の会場、Mellow Pillow Hotel(80)は、本作以外にバンコクのSpeedy Grandmaの都会、つまり都市の若者文化らしい風景のインスタレーション(81~85)や、インドネシアの食文化のリサーチを中心に活動するコレクティブ、Koneksi Tamalanreaの作品(86~89)など、[3]のPoon Phol Buildingに次いで面白い作品が飾られていた。
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[5]プーケットの街角で: 日常を凝視めると、何か大切なものが見えてくる
Pearl Bowl(1)の隣にあるオールドタウンのメイン会場、元劇場のPearl Theater(90、91の赤印01)の展示を観れば、今タイランド・ビエンナーレの出展作品の多さに圧倒される。この会場は、まず日常の観察魔のアーティストの作品(92~94)が目についた。古色蒼然のプーケットが栄えていた時代、周囲から人が流入してきた。オールドタウンを移動していると、「シノ・ポルトガル様式」の住宅の特徴ある街並み(95)や、漢字の表記のある寺院(96)が見受けられる。ある意味、シンガポールより日常が豊かであると感じられた異質な多様性のプーケット。
その日常を壊す戦争はいかに残酷か? その犠牲者はいかに悲惨か? タイに縁のある富山妙子(97~100)は、戦争を徹底して批判する。そして、犠牲者となった従軍慰安婦に全面的に共感する。彼女の批判の矛先は、軍国主義日本に向けられる。本展で彼女の作品が、これほど多く飾られたのは驚きだった。彼女の作品がタイで高い評価を得ている証左だろう。
日常にエロスを!エロスとは戦争とは反対の生命力である。ならば、エロスのある日常(101~103)を増幅させようではないか。売春の法制化を当事者の側から積極的に発言するイタリアとタイのアーティスト(セックスワーカー)たち(104~106)。タイが表現の自由とセクシュアリティばかりか、セックスに関して寛容と今日知りました。
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[6]エピローグ: プーケットで富岡妙子の絵画と、高橋悠治が率いた水牛楽団の音楽を鑑賞することほどの快楽はあるだろうか?!
オールドタウンの最後に特筆しなければならない会場、Former Bangkok Bank of Commerce(Phuket Branch)(107)がある。日本ではなかなか接する機会のない日本人アーティストの展示があったからだ。Pearl Theaterに展示された富岡の作品(108~110)が、この会場にも掛けられていた。別の会場にも1点飾られていたので、今ビエンナーレによる彼女の破格の待遇を理解できるだろう。それほど彼女の作品が体現する民衆の力がタイに浸透し、彼女がリスペクトされている。もう1つは、現代音楽の作曲家、高橋悠治が組織した民衆音楽を演奏する水牛楽団の活動の記録と音楽である(111~116)。
それは、同ビルのさらに上のフロアに展示された。富岡の作品と水牛楽団との共演を楽しめたことは、至福の刻だった。しばし暑さから来る疲れが吹き飛び、その素朴なリズムとラディカルなメッセージに酔い痴れました。永遠(本ビエンナーレのタイトルはEternal)に、この解放区(2022年のカッセルのドクメンタ15以来!)が続けばよい。
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(文・写真:市原研太郎)
■今までの市原研太郎執筆のブログ https://tokyo-live-exhibits.com/tag/%e5%b8%82%e5%8e%9f%e7%a0%94%e5%a4%aa%e9%83%8e/


























































































































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